コラム

オリンピックという「ヤマタノオロチ」

2020年3月23日(月)

人類は「オリンピック」というヤマタノオロチを作ってしまったようです。オリンピック憲章は「世界平和をめざす」と崇高なことを唄いながら、実態は過剰な商業主義に染まり、オリンピックは複雑怪奇な大蛇になってしまいました。

1976年のモントリオール・オリンピックでは開催地が赤字に陥り、「オリンピックは損をおしつけられる」というイメージが定着しました、その後、国際オリンピック委員会(IOC)は開催地探しに苦労し、1984年の立候補地はロサンゼルス(ロス)のみでした。そのロス・オリンピックは従前のやり方を変えた革命的なもので、1セントも税金を使わなかった大会として有名です。しかも、1980年のモスクワ・オリンピックで西側諸国が参加ボイコットした意趣返しで当時の東側諸国が参加を不参加でも、大会は黒字を達成しました。その後、オリンピックは規模、収入ともに肥大化の一途を辿り、今のような姿になってしまった。

今夏の東京オリンピックを中止するか延期するか今剣ヶ峰の状況ですが、新型コロナウイルスによってゲームを開催できないのは、同じビッグ・ビジネスの米国野球、バスケなども一緒です。ただ、メジャーリーグベースボール(MLB)や米国バスケットボール連盟(NBA)は運営主体が社会状況を見ながら現実的に開催・中止の意思決定をしています。商業的、社会的なリスク・リターンともにMLBやNBAに帰属しているので、そうなります。

しかし、オリンピックは野球やバスケのようにシンプルでなく、頭が8つある大蛇のような存在です。その中心にいるのがIOCです。現在分かって来たように、オリンピックに関する全ての意思決定権はIOCが握り、開催国の日本は契約上何も決められず、損害だけはしっかり押し付けられる構造になっています。これでは、江戸時代に幕府が列強と結んだ不平等条約さながらです。しかも、IOCは国際機関でも企業でもない得体の知れない不透明なNPOです。ガバナンスや説明責任が求められている時代に、その対局にある組織が世界最大のスポーツビジネスを動かしていることに愕然とします。

何故、日本がIOCとこんな不平等条約を結んだかというと、そうしないとオリンピックを開催させて貰えなかったためでしょう。それを煽ったのはマスコミでした。ただ、多くの国民は、政府やマスコミを批判ばかりできません。ロンドン・オリンピックの金メダルラッシュを見て、それまでオリンピックに冷ややかだった世論が「次は東京だ」と誘致合戦を後押ししたからです。かく言う私も当時招致賛成派だったので、人を批判する資格はありません。私の周囲で招致に声を上げて反対していたのは友人である書籍編集者のS君だけでした。

東京招致当時、「ロス・オリンピックは税金を1セントも使わなかった」という歴史的事実が印象的でした。ただ、「東京開催もインフラが整っているので、税金がかからない」という謳い文句は結局ウソでした。一般のスポーツビジネスと異なり、無責任体制によって自己増殖してしまうのが、オリンピックの怖いところです。これは招致と別に大いに批判されるべきです。

最高峰のアスリートが真剣勝負をする姿は感動を呼びます。そういった機会は今後も続けるべきでしょう。しかし、今のようにカネが異常にかかる不透明なオリンピックは持続可能ではありません。米国のTV局にカネがなくなれば、自然に状況変わるでしょうけど、オリンピックに過度な期待や幻想を持つ時代は終わったと思います。東京開催は進行中だからしょうがないが、我々はいい加減目を覚まして、これからはヤマタノオロチを冷静に見つめるべきです。

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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200229/k10012307401000.html

  • 尾崎 弘之
    (プログラム運営責任者)

    神戸大学科学技術イノベーション研究科教授、経営学研究科教授、プログラム運営責任者