コラム

ポストコロナのイノベーション32: 「酔い」解消がバーチャル・リアリティを普及させるか?

2021年7月7日(水)

ポストコロナの社会課題1. 人同士の接触を減らしながらビジネスを成立させること
1-2. 今までと違う「接触方法」とは?
ポストコロナの社会課題4. ビジネスの新たなパラダイムを作ること
4-2. 従来と異なるコミュニケーションとは?
コロナ禍の「恩恵」を受けた首都圏の通勤者

コロナ禍は人同士の「接触」と人流を極端に減少させました。ところが、ワクチン接種が進んだ米国では様相が変わっています。州によってレストランは通常営業に戻り、スポーツや音楽イベントは満員の観客収容が復活しています。ただ、これらはいかにも米国らしい話で、日本でたとえワクチン接種が進んでも、急速に元へ戻ると思えません。また、国境を越えた人の移動となると、たとえ米国でもまだ時間がかかります。

また、以前は当たり前だった接触や人流のうち、無駄と気付かされたものは元に戻らないでしょう。誤解を恐れずに言えば、コロナ禍による恩恵が世界で最も大きいのは、日本の首都圏です。首都圏は人口の集積度が世界でもダントツで、しかも高度な交通網が整備されています。結果的に多くの人が通勤地獄に苦しんでいるので、人流が減った恩恵は大きいと言えます。

XRを使って接触・人流の復活をビジネスチャンスにする

このコラムのバックナンバーでも書いている通り、接触と人流が元に戻る過程をビジネスチャンスにする企業は数多い。バーチャル・リアリティ(VR)、オーグメンティド・リアリティ(拡張現実、AR)、ミックスド・リアリティ(MR)の開発がその例です。VR/AR/MRはまとめて「XR」と呼ばれます。ヘッドマウントディスプレイ(HMD)や専用のメガネを付けて、通常の画像と違う臨場感を味わいます。スマホでも体験することができ、バーチャルのモンスター動画とリアルな動画を組み合わせた「ポケモンGO」はARの例です。

XRのツールには下記のような活用例があります。
① ゲーム
普通の動画では飽き足りないユーザーにとって、XRは魅力的なツールです。ゲーム業界で既に実用化されていますが、一番早く伸びる市場と思われます。

② バーチャル・オフィス
Zoom、Teams、Slackなどリモートワークのツールは浸透しているが、ちょっとした雑談をするのに不自由で、お互いの様子が分かり難いという問題があります。そこで、社員の顔を3Dで合成したアバターが本人の代わりに社内を歩き回って、会議にも参加します。

③ バーチャル店舗
Eコマースで買い物をする際、ネットだけでは商品の使い勝手がよく分からないことが多いです。3次元画像を見てチャットボットで質問することはできるが、実際に店舗で見て、聞きたい人は少なくありません。このフラストレーションをXRツールで埋めて、店員と会話する感覚を味わいます。

④ バーチャル工場
メーカーの商談では、顧客を工場に案内してラインで製造している現場を見てもらいますが、コロナ禍で工場の訪問が難しくなりました。遠隔で動画を見せることもできますが、それでは伝わらない立体感をXRツールで補います。また、社員同士で工程の確認を行うこともできます。

⑤ バーチャル現場
ビル、道路、橋などのインフラの点検、建築現場の管理、飛行機・鉄道車両の安全点検など、現場に行かないと分からないとされる作業を遠隔で行います。

⑥ バーチャル・ライブ
ライブは観客が臨場感を得ることが必要で、映像では満足できない感覚をXRツールが補います。V-Tuberファンにとっては必須と言えます。

XR普及を阻む課題とは?

XRはこれから三年で市場規模が10倍に膨らむという予想もあります(*1)が、本当にそうなるかは分かりません。ゲーム世代でない筆者は、「アバター同士で会議すればお互いの親密度が高まる」と言われても、ピンと来ません。「アバターが作るバーチャルの世界がリアル社会のようになる」と喧伝されて失敗した「セカンドライフ」の例もあります。ただ、XRツールが広く使われるようになれば、新しい使い方が開発されると思われます。

(出典:Statista: Augmented reality (AR) and virtual reality (VR) market size worldwide from 2016 to 2020)

ただ、XRに潜在力があるといっても、普及を阻む課題がいくつか指摘されています。(*2) 下表で示されている7つの課題は、さらに三つに大別できます。
① 画像・音の質の低さ
② 使用中に酔って気持ち悪くなること
③ 相手の顔が分からないこと

(出典:日経クロステック「次世代AR/VRに7つの課題、VR酔いの解決に光明」(2019.10.18))

「画像・音の問題」は技術開発によって改善されるでしょう。「相手の顔が分からないこと」はHMDを付け、相手の顔が見えない状態で対面する不安な状況が想定されます。不安さは使い方の工夫で克服されると思われます。

普及のカギである「酔い」の解消(株式会社雪雲)

問題は、XR「酔い」です。HMDやメガネ型のXRツールは、眼で見る「実像」とコンピュータの「人工像」を合成して、両者を区別できない状態を作ります。それがXR特有の立体感や臨場感につながります。ただ、通常と異なる神経刺激を受けるので、「酔い」が発生します。顕微鏡や望遠鏡を長時間眺めていると気持ち悪くなることを思い出せば理解できます。

(出典:株式会社雪雲)

酔いを解消できないと、最初から「XRなど使えない」という人が増え、普及を阻害します(これまでのツールはそうでした)。この課題を、従来と発想が異なるテクノロジーで解決を目指しているのが、長野県に本社を置く雪雲株式会社(*3)です。解決のキーワードは「ベクション」と「フレームレート」です。XR酔い防止は米国などでも研究され、「ベストと思われる」常識的な方法が提示されています。雪雲の伊藤克社長によると、同社はその常識を疑うところから技術開発が始まりました。

雪雲が挑戦している酔い止めの世界的に「常識的な方法」は下記の二つです。

* 脳の錯覚(ベクション)を無くさなければならない
* 画像の質(FPS)は高くしなければならない

視線を動いている方向に誘導して脳の錯覚を許容する

ベクションとは、視覚によって、自分は静止しているにもかかわらず移動しているように感じる錯覚です。停車中の列車から、動き出した別の列車を見ると、あたかも自分の乗っている列車が動いているように感じることがあります。これは、日常生活におけるベクションの例です。(*4) ベクションをなくす研究が世界で行われてきましたが、「なくす」ことは論理的に困難です。そこで、雪雲はベクションをなくすのではなく脳にある程度「許容」させるアプローチを取っています。

ベクションをなくすための常識的な発想は次のようなものです。

* 視線を画面の中心に誘導して、左右を見ないようにする
* 視線の方向にしか進まない
* 加速度は与えず、ゆっくり動く

(出典:株式会社雪雲)

雪雲は発想を転換させ、「普通は酔うはずなのに実際は酔わない状況」を追求しています。伊藤社長は、「視線を動く方向に誘導すれば、酔わない状況を作ることができます。」と語ります。

画質を低くしてもユーザーは快適に使うことができる

常識と異なるアプローチの二つ目のキーワードは「フレームレート」です。フレームレート(FPS)は、「frames per second」の略で、動画を作る時1秒間に使う静止画のコマ数を意味します。紙の「パラパラ動画」と同じ原理で、FPSの数値が大きいと動画の質が良くなります。ただ、高FPSには膨大な情報が必要で、通信やソフト動作によって画質が不安定になります。

ユーザーが酔わないためには、「FPSを高くする」ことが「常識」です。FPSを高くしなければならない根拠は「90〜120くらいの高FPSでないと、画像の映り方が人間の感覚より遅れること」です。一方、雪雲の発想は「ハイビジョンを観るわけでないので、FPSが30もあれば十分」です。高FPSでは、静止画にすると画質が悪くなります。高FPSは脳に緊張状態を強いるので、低FPSでも快適に使える環境を作りことがキーです。

筆者は実際に雪雲のソフトがインストールされたHMDを使ってみました。確かに、激しく前・横に動いても酔うことがありません。また、印象的なのはCGで作られた野原や森林の画像の色がすごく鮮やかなことです。傍らの草葉、遠くの景色もくっきりと見えます。FPSが高いとこのように綺麗な静止画にならないはずです。

スマホ黎明期と今のXRは同じ?

過去、スマホにも似た状況がありました。初期のスマホは画面とキーボードが別々に配置され、ガラケーと同じ操作感でした。タッチパネルが主流になると、画面を大きくすることができ、視覚が大きく改善されます。操作感の改善がなければ、スマホは今のように普及しなかったかもしれません。XR黎明期の現在、似た課題があることが分かります。

(出典:株式会社雪雲HP)

「ポストコロナ」の社会課題:
http://www.lab.kobe-u.ac.jp/stin-innovation-leader/column/200430.html

1. 人同士の接触を減らしながらビジネスを成立させること
1-1. 人同士の接触が前提だった場所の変革とは?
1-2. 今までと違う「接触方法」とは?
1-3. オフイス、飲食店、スーパー、スポーツ、エンタメ以外に課題を抱える場所とは?

2. リアルな現場における人手不足を賄うこと
2-1. 医療、介護、工場、物流、店舗以外に問題が起きている現場とは?
2-2. 専門家、管理者、単純労働者など不足する人材の質に合わせた対応とは?
2-3. IT化やロボット活用以外に考えられる解決方法とは?

3. ITの新たな活用方法を提示すること
3-1. テレワークを実施するうえで起きる新たな課題とは?
3-2. DX(デジタル・トランスフォーメーション)の新しい姿とは?
3-3. ITが解決するべき今まで見えなかった課題とは?

4. ビジネスの新たなパラダイムを作ること
4-1. 新たな生活、仕事の目的とは?
4-2. 従来と異なるコミュニケーションとは?
4-3. 人々が持つべき新たなマインドセットとは?
4-4. 新しい家庭、病院、オフィス、店舗、物流、工場etc.の形とは?


(*1)Statista: Augmented reality (AR) and virtual reality (VR) market size worldwide from 2016 to 2020:

(*2)日経クロステック「次世代AR/VRに7つの課題、VR酔いの解決に光明」(2019.10.18):

(*3)株式会社雪雲ホームページ:

(*4)後藤倬男、田中平八・編(2005)「錯視の科学ハンドブック」東京大学出版会:
  • 尾崎 弘之
    (プログラム運営責任者)

    神戸大学科学技術イノベーション研究科教授、経営学研究科教授、プログラム運営責任者