平成12年度小論文講評


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対象論文「ラクタヴァド地区における住居入口の境界性」

発表者 東那美子

講評者 1北聖志 2中村佳永 3山口秀文

 この研究は北インドグジャラート州,パタンのラクタヴァド地区というムスリム居住区を対象に調査している.

 調査からイスラーム的な要求による住居平面,断面の実体が明らかになっており,具体的な知見は,

・サービス・ヤードが住居内に納められている

・中二階に女性が自らを見られることなくして来客を確認できる空間の存在

・デリの存在とその役割の重要性

などが挙げられる.

 インド研究の住居研究においてムスリム住居はその宗教的な制約のために困難であった.しかし,今回ラクタヴァド地区という,一地域ではあるがその地域でのムスリム住居のプロトタイプを示すことができたことは非常に貴重である.ある地域のムスリム住居のプロトタイプが得られたことにより今後,他の宗教,地域の住居と比較することができ,筆者が注目しているデリという境界性を持つ空間をはじめ,様々なインド都市住居における文化と居住空間との関係を明らかにしていく上での基礎的資料としても意義がある.

 以上の理由によりインドの一地域をフィールドとした生活環境計画の研究分野において価値がある.

(評者/北聖志)

・どのような研究か

 インドは世界で第二位の人口を誇る国である。また宗教や階級も複雑多岐に渡る。そのため都市の密集住宅地においては空間的に様々な工夫が施されている。関連する既往の研究で、対象地区付近の街区構成や近隣関係の研究はなされているが、本研究はパタン(インド・グジャラート州)のラクタヴァド地区における都市住居の出入口部分(デリ)における境界性に着目した研究である。街区空間と住居の接点にあたるデリを調べることにより、境界における空間性質の類型と分析がなされ、最終的にはこの地区でのコミュニティと家族の関わりを明らかにすることを目的としている。

・何が得られてたか

 第一章では、インドにおける宗教とそのパタンの占める位置が述べられている。都市の構成はが狭い街区を単位として成り立っており、ラクタヴァド地区もその例の一つである。

第二章では、ラクダヴァド地区の街区構成その空間的性質が明らかにされている。この地区はほぼ100%がムスリム教徒でありムスリム居住区の典型といって良い。街区はオトロ/オトラとアグヌーという概念により構成される。つまり、街路は公共の空間ではあるが、住居出入口付近の路上スペースは住人の自由な利用が認められている。また、ジャイナ地区やヒンドゥー居住区ほどではないが、私的空間として意識の及ぶ空間となっているとされる。

 第三章では、北グジャラートとラクタヴァドの住居構成(間取りと名称)と生活行為が比較されている。ラクタヴァド地区の住居は、北グジャラートの伝統的都市住居を祖型とし、イスラームの宗教的な欲求(男女の区別・女性隔離、等)に合わせ修正されたものであり、実際の調査やヒアリングにより状況に応じた使われ方が述べられている。

第四章では、街路空間と住居をつなぐデリと呼ばれる空間の分析がなされ、デリの前のオトロ/オトラと呼ばれる段差の3類型、デリの形態による5つの分類により境界性に及ぼす影響についての分析されている。そして北グジャラートのカドキの機能との比較が行われ、より境界としての性格が強いということか認められている。

・どのような価値や意義があるか

 インドのラクタヴァド地区を例にとり、都市居住における公共空間と私的空間の境界の一つの例を「デリ」のもたらす空間の性質と機能により示し、イスラーム原理が住居空間へ反映し、街路空間との関わりに変化を与えていることを明らかにしたと言える。

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/中村佳永)

 本研究は,インドの都市パタンのムスリム居住地区であるラクタヴァド地区を対象として,都市住居における街路と住居をつなぐ出入口部分デリdehlizの境界性について明らかにすることを目的としている.また,それらについて他の宗教であるヒンドゥー,ジャイナ教徒の居住地区との比較を行い,ムスリム居住地区の特徴を見いだしている.

 ラクタヴァド地区内の20の住居についてフィールド調査(家族構成,各室の呼称・使われ方についてのヒアリング,出入口部分の実測)と街路空間でのフィールド調査を行っている.

 街路空間において,屋台とその周りに集まる人々,ヤギの放し飼い,基壇に座るといった様々な行為,街路空間にあふれ出ているもの(ベッド,自転車・バイク,タンク,荷台,壺,リキシャ,ゴミ,家畜の餌,はしご,水場,電柱,街灯)をヒアリング,観察調査から得ている.その使われ方については,ヒンドゥー,ジャイナ居住地区と比較して考察している.ジャイナ,ヒンドゥー居住地区では街路が炊事,洗濯といったサービスヤードの機能を果たしているが,ムスリム居住地区ではそれらの機能と行為が街路空間にはなく,住居内にあるとし,それがイスラーム原理の反映であるとしている.

 フィールド調査を行った20の住居を対象に,街路と住居をつなぐ出入口部分デリを「基壇の有無」「デリからチョウクへいく際に通るドアの数」という物理的形態により5つに分類(A?Eの5段階)し,トイレへの動線,ステップの形態,デリの高さ・幅・奥行き,住居の立地から考察している.類型AからEへとデリの形態が簡素化し,逆に類型EからAへはイスラーム原理が投影された複雑な(階層性のある)形態になっているとしている.デリの形態と住居の立地について,複雑な(階層性のある)形態であるA,B,Cの類型は地区内の大きな街路に,簡素な形態であるD,Eの類型は大きな街路から分岐した細い街路に面しており,住居の立地とデリの形態の関連性について指摘している.

 デリに接したチョウク(中庭を有した居住空間)で行われる行為の変化からデリの持つ意味を検討している.チョウクは食事,洗濯,就寝などが行われる日常空間であるが,来客がある場合には,女性が奥の部屋に引っ込み,接客空間に変化することを示している.これは女性隔離というイスラーム原理に基づく空間原理であるとしている.

 これらのデリの分析,考察から,住居の出入口デリのもつ境界性について以下のようにまとめている.1)物的に街路と住居内を隔てる境界,チョウクの機能が変化する境界という二つの意味をもつ.特にチョウクが日常の生活の場から接客空間へと機能を変化させる,その境界として存在する.2)ムスリムの女性隔離という考え方に基づく空間原理を有している.

 本研究は都市住居において街路と住居の境界部分に着目して,住居の出入口デリの物理的形態について分析し,居での行為の変化による空間の意味の変化を指摘し,それが居住者の精神性(イスラーム原理)に支えられていることを明らかにしている点で意義がある研究である.

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある.

(評者/山口秀文)


<小論文講評>

対象論文「東榛原小学校区における遊び場の分散と広がり・ネットワークに関する研究」

発表者 小畦雅史

講評者 1山本竜太郎 2山本有紀子 3宮本弘毅 4黒川祐樹 5稲地秀介

    6寺嶋卓也 7吉池寿顕

・どのような研究か

 近年子供たちが外で遊ぶ光景をあまり見なくなった。しかし子供たちが遊ばなくなったのではなく、外で遊ばなくなっただけである。ではなぜ子供たちは外で遊ばないのだろうか?小畦君はこの原因を遊び場に広がりとネットワークがないためではないのだろうかと考えた。そこで小畦君は「空間」「時間」「友だち」「方法」という遊びの4大成立条件(仙田満氏の研究による)から、遊びの内容(方法)と遊びの場(空間)という二つの点に着目し、子供たちの遊びが地域にどのように浸透しているかをアンケートとヒアリングにより解き明かすことを目的としている。

・何が得られていたか

 ます子供がどんな遊びをしているかに注目してみるとテレビゲームとカードゲームで全体の38%をしめている。これらは場所の広がりを必要としない遊びでありしかも体験を伴わない。またカードゲームについていえば様々な場所でできるがその空間は閉じているといえよう。

 次に遊ぶ場所についてであるが、場所は「公園」「家の中」という結果を得ている。これらはやはり閉じていてネットワークを形成するための「道路」というものはすでに遊び場としては認識されていないことがわかる。

 これらのことより子供たち閉じた空間において遊ぶ傾向があり、地域全体を遊び場とする考え方は少ないことがわかった。この原因として現代生活様式における公園と郊外施設への依存が大きいだろうということがあげられる。 

・どのような価値や意義があるか

 今後の建築計画、都市計画を考える上で公園などの子供の遊び場というものは途切れることなく常につながったものとして計画していくことが必要であり、また子供たちが子供の持つ想像力、幻想力をいかんなく発揮できる「空間」「方法」を提案しなければならない。このようなことを小畦君の論文は提唱している。

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/山本竜太郎)

・どのような研究か

 “遊び・遊び場で一番大切なものは、創造的で突発的、偶発的な内容を大きく含んだ、多種多様な遊びであり、個々の遊びの広がりとつながり、町空間との同化である”という考えの下で、遊び場の広がり・ネットワークに関して、仙田満氏の遊びの4大成立条件のうち「空間」に着目し、農村と新興住宅地が混在する地域において、“子どもの遊びに対応しうる空間が周囲に存在する地域においての遊び場の分散具合・広がりと、遊び内容を把握し、町内における浸透具合”を明らかにしようとするものである。

 アンケート調査で遊び場の分散具合と道路の遊び場化の程度を明らかにし、ヒアリング調査で一日の遊び行為の展開を知ろうとしている。さらに、校区内の観察調査を行い道路における遊びの実体を探っている。

・何が得られていたか

 遊び場は公園と家の中に集中している。道路は遊び場とは言えない状況で、ここの遊び場のネットワークは消滅しそれぞれの遊び場は孤立している。遊び場の孤立については、カードゲームなどの商品化されたものへの依存という遊び方も原因のひとつとして考えられる。また、一日の中で遊び場を変えることが少ない。という結果を得ている。

 子どもたちはもっと偏った遊びをしているのかと思っていたが、意外と幅広い遊びをしていることがわかった。子どもたちの家と遊び場の関係、人気のある公園が他と違うところは何か、というのが気になった。道路は遊び場とは言えない状況であり各遊び場は孤立していると述べられているが、道が遊び場として機能していなくても、子どもたちが場所を移って遊んでいるのであれば、遊び場のネットワークは成立しているを思う。得られた遊び場の広がり・ネットワークを図示したものをみてみたい。  

 

・どのような価値や意義があるか

 小畦くんの研究は、地域が特定されてはいるが、現代の子どもたちの遊びの現状を示しており、子どもたちの生活と遊び場がどのように関係しているのかを知る上で重要な手掛かりとなる。

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/山本有喜子)

・どのような研究か

 幼少期に学習の一つとして存在していた遊びは修学期に入り、学習と切り離され、人と人、人と物、人と場所をつなぐコミュニケーションとして位置づけられるようになる。そんな対話をこの東榛原で経験してきた発表者にとって、子どもたちの遊ぶ姿があまり見受けられず、遊び場が激減していることは、不満を抱かせ、不思議に映る光景だったのであろう。そして、“遊ぶということにおいて大切なのは、あらゆる場所で、様々な遊び(テレビゲームなども含む)を経験するし、連続一体に地域を遊び場化していること”であるという考えの下、“今の子どもたちの遊び場が、地域内においてどれだけ広がりをもち、連続性をもつかということ”を明らかにするに至った。

 

・何が得られていたか

 アンケートやヒヤリングによって、子どもたちの生の声や遊びへの意識がよく得られていたと思う(学校でのアンケートのため、本当のことをいっていないんじゃないかという意見もあったが)。遊び場が「公園」と「家の中」に集中していること、遊び方が商品化されたものに偏っていることなどから、子どもたちの意識の中では、遊びとは遊具を用いて楽しむこと、つまり人と物のコミュニケーションという形だけのものになってきているのではないだろうか。このことは、下校時の通学路での子ども同士の会話や寄り道を遊びと見なさないことからも顕著である。

 

・どのような価値や意義があるか

 子どもたちの遊びからこれからのコミュニケーションの形を見出すとすれば、それは「カードゲーム」であろう。発表者の研究から、公園でも家の中でも、仲間が集まってカードゲームをすることが多いらしい。その遊びは場所に依存していない反面、どこでも同じレベルの遊びを展開することができる。現在のコミュニケーションの形として、携帯電話やメール、インターネットが普及しているが、場所を選ばない人と人とのつながり、場所を選ばない仕事や遊びというものがよりいっそう強まっていくのではないだろうか。

 

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/宮本弘毅)


・どのような研究か

 自分の子供の頃の体験と比べ今の子供たちの遊び場は減ってしまったように思い、そこで今の子供たちがいったいどこで遊んでいて、その遊び場の広がりとにそのネットワークについての知見を得ようとしたもの。

・何が得られていたか

 子供たちの遊び場とそこによく行く人数を学年別にMAPにプロットし、その変化を読みとろうとしていた。しかし、そのMAPでは思うような遊び場のネットワークや広がりは読みとることができなかった。

 子供たちの遊び場のほとんどが公園や友達の家というのに集中している事が得られていた。このことに対する考察は「施設への依存という生活の方が影響している」としていたが果たしてそうなのか疑問である。

 「遊び場が広がらないのは、遊び方が商品化されたものに偏っているため」となっているがそれは今も昔も変わらない。たとえば、僕の子供の頃ならキン肉マン消しゴム(金消し)、ビックリマンチョコ、カードダス(ガンダムもの)、ガンダムプラモ(ガンプラ)、ミニ四駆、もちろんファミコンも、このようにあげだしたらきりがない。今もカードゲームがとてもはやっているようだし(ポケモンカードか?)当然プレステをはじめとするTV-GAMEも子供たちに人気だ。小畦君はどうやら学校の帰り道や家の周り、またそこから延長して公園や河原、林の中等に子供たちが昔ながらの「鬼ごっこ」や「背高鬼」「ポコペン」などなどをしている像を思い浮かべていたのかもしれないが、そういった遊びをしなくなっていることの陰には「遊び方の商品化」ではなくもっと他の要因がある様に思える。それは時間感覚が昔と違ってきているからかもしれないし、子供がしなければならないとされるノルマ(親が強要?するもの)が多くなってきているせいかもしれない。いずれにしても僕たちの子供の頃と比べ遊び方が変わってきているのは事実で、もっと詳しい実体を知りたいと思った。それには特定のいくつかのサンプルグループにつきあって一日中彼らとともに遊びをともにし、一緒に遊んでみることが必要かもしれない。

・どのような価値や意義があるか

 上にも述べたように、近年の子供の遊び場の変化は顕著である。10数年前と比べてもその変わり様はすさまじい部分がある。その変化の要因が何であるのかつきとめるためにも詳しい実体を知ることが必要である。またそうした変化が学校崩壊や少年犯罪にまで影響するかもしれないというのならその原因究明にも少しは役立つのではと考える。

評者/黒川祐樹)


 この論文は,子どもの「遊び」の内容,それが行われる「遊び場」の特徴および「遊び場」の地域空間における広がりから,子どもの「遊び」,「遊び場」の現状を明らかにしようとするものである.

 筆者は,自らの体験に基づいて得た「遊び場に必要とされる空間が,ある程度そろっていると思われる地域においても,子供たちの遊び場は,町空間(地域空間)の広がりと同化せず,さらには遊びの内容も自由度・創造性を失っているのではないか」という仮説のもとにこの研究を行っている.

この論文は3章構成からなる.

 第1章では,まず始めに,既往研究を整理し,子どもの発達過程における「遊び」の意味とその成立条件に関して論じている.筆者は「遊び」が成立するための条件として仙田満氏の4条件「空間」,「時間」,「友達」,「方法」を支持し,その中でも特に「空間」が今日の遊び・遊び場をめぐる状況変化の鍵であるとしている.またこの「空間」は,地域空間において単に点として存在するだけでなく,ネットワーク的な広がりを持つべきものとしている.

 次に,奈良県宇陀群榛原町東榛原小学校に通う3?6年生の児童を対象に2つの調査を行っている.1つは,3?6年生の児童(計198人)を対象として遊びの内容及び地域空間における遊び場とその広がりに関するアンケート調査である.もう一つは3?6年生の児童(計25人)を対象として平日・休日の一日における生活行為とその時間配分に関するヒアリング調査を行っている.前者は,主として遊び,遊び場に関する空間的側面の児童の全体的傾向の把握として,後者はそれらの時間的側面の傾向の把握として行っている.

2章では,前章の二つの調査結果を子細に整理し,分析・考察を行っている.

 まず,アンケート調査の結果からは,児童の全体的傾向として遊び場は「公園」「自宅・友達の家(家の中)」に収束しており,加えて「道」は遊び場としての意味が薄く,地域空間における遊び場のネットワークは巧く形成されいないことが明らかとされている.特にこの傾向は高学年になればなるほど強く見られることが明らかにされている.

 次に,ヒアリング調査の結果からは,児童は平日・休日を問わず,遊び場を変えることが少なく,遊び場に殆どネットワーク状の空間的広がりを持たない事が明らかにされている.家の中での遊びに関しては,遊び方に貧困化,商品化の傾向が見られることがあきらかとされている.また屋外での遊びに関しても,自ら遊びを発見せずとも施設等に依存して遊べるという遊び方がすでに出来上がっているとしている.

 第3章は,まとめとして,上記の調査結果の分析・考察から得られた知見を整理し,今後の研究課題の整理をしている.

 この研究により,子どもの「遊び」,「遊び場」の現状を明らかにされた.

ここで得られた知見は限られた地域における調査から得られたものではあるが,調査対象とした児童数が多数であること,調査内容が子細であることから,相応の信頼性のあるものと考えられる.この論文では遊び場がネットワーク状に広がるべきであるとする根拠は示されていない.しかしながら,地域空間全体を遊び場として捉えることが可能なであるという視点は,単に公園なのどの点的空間の整備に止まらない,地域計画における新しい「遊び場」の発想・創造を刺激するものであると考えられる.この2点においてこの研究は意義のある研究である.

(評者/稲地秀介)

・どのような研究か

 子供たちが外で遊ぶ光景をあまり見なくなったという小畦の体験に基づき、現代の子供たちの遊びとはどのようなものなのか、どのような場所で子供たちは遊ぶのかといった2つの点に着目して、アンケートとヒアリングによる調査・分析を行い、現代の子供たちの遊びの実態について明らかにしようとしている。

・何が得られていたか

 調査方法、対象が適切であるとは思わないが、出てきた結果を見てみると、遊びについては、「テレビゲーム」「カードゲーム」がほぼ半数、遊びの場については「公園」「家の中」が半数以上を占めている。このことから、現代の子供の遊びは大人の考えた遊びに集中し、遊び場についても連続性の見られない場となっていることが明らかになった。

・どのような価値や意義があるか

自分の子供の時を思い出してみた。どんな場所でも遊びはあったと思う。遊ぶ場所といって決められた場所は逆に遊びが特定され面白くない。(グランドでは野球,サッカー,公園では滑り台,ジャングルジムといったように)今も昔も子供の持つ想像力は変わらないと思う。子供の遊ぶ姿が見られないというが、私は大人の目の届かない場所でよく遊んだし、逆にそっちの方が楽しかった思い出が多い。もっと子供に密着して調査を行ったら良かったかなと思う。今後の建築計画、都市計画を考える上で子供の遊びの環境は重要な課題であると思うが、小畦はこの小論文でその第1歩を歩み始めたといえるだろう。

(講評 M1 寺嶋卓也)


どのような研究か

 この研究は、「現在、子どもの遊び場が激減しており、その活動もほどんど見られないのではないか。」という著者の問題意識に端を発している。そして、子どもの「遊びの内容」、「遊び場の特徴・地域空間における広がり」を分析し、子どもの「遊び」「遊び場」の現状を明らかにすることを目的としている

 まず,著者は「遊び」が成立するための条件として仙田氏の提唱する4条件「空間・時間・友達・方法」を挙げ、その中でも特に「空間」について着目し、本研究を進めている。またこの「空間」はネットワーク的な広がりを持つべきものであるとした上で、奈良県宇陀群榛原町東榛原小学校に通う3?6年生の児童を対象にアンケート調査とヒアリング調査を行い、分析・考察している。

 

・何が得られたか

(アンケート調査の結果から)

・傾向として遊び場は「公園」「自宅」「友達の家」に集中しており、「道」は遊び場 として見なされておらず、地域空間において遊び場はネットワーク的広がりを持ってい ないこと。さらに、この傾向は高学年になるほど顕著なること。

(ヒアリング調査の結果から)

・児童は遊び場を変えることが少なく、遊び場がネットワーク的広がりを持っていない こと。家の中での遊びに関しては,遊び方に商品化の傾向が見られること。屋外での遊びに関しては、施設等に依存していること。

 

・どのような価値・意義があるか

 子どもの「遊びの内容」「遊び場の広がり」を詳細に分析し、遊び場のネットワーク的ひろがりについて考察している点にこの研究の独創性がある。著者の提唱する「遊び場のネットワーク的広がり」を地域につくり出すためには、実際に空間の計画者は何が出来るのかというところにまで言及していれば、より意義のある論文となったであろう。

 

感想

 自分の子ども時代と照らし合わせて考えることが出来、大変興味深い論文だった。それと同時に、テーマに様々な疑問を感じた。

 まず、「遊び場の広がりとネットワーク」を考察することが、そのまま「子どもの遊びの豊かさ」を考察することにつながるのか疑問である。「地域を広く遊び場として使う」

といっても、「個々の遊び場がネットワーク的広がりをもって、空間的に連続すること」はまず不可能である。自分の子ども時代を振り返ってもほどんどいかない遊び場もあった。それよりも、例えば、遊び場のナワバリ意識とその範囲を分析してみてはどうだろうか。小学生なら、学年、クラス、仲良しグループといった様々な自分の属する集団構成単位があるだろうし、それぞれのナワバリ意識があるはずである。このグループと遊ぶ時は、この場所。違うグループの時は、あの場所。といった結果が得られるではないだろうか。 

 次に、著者は、遊び場が点的に存在し、途中の道や学校の帰り道で遊びが行われていないという結果を導いているが、これは著者の定義する遊びと子ども達が定義している遊びとの間に差があったのではないだろうか。例えば、「石を蹴りながら帰る」とか「ジャンケンで負けた人がランドセルを何メートルかもつ」とかも、広い意味では「遊び」に入るはずである。ヒアリングの際に、例えば「この道でしたことのあることを教えて下さい。」といったように聞けば、帰り道にただボーと歩いているわけでもないであろうから、何らかのおもしろい結果が得られのではないだろうか。また、帰り道に遊ぶのなら、

何人で一緒にかえるのかが重要になってくると思われる。ヒアリングの聞き方が難しいのなら、作文を書いてもらうという手もある。

 以上、もっと調査の方法を工夫すれば、興味深い結果が得られると思われるので、さらなる研究を期待する。

(評者/吉池寿顕)


<小論文講評>

対象論文 「斜面地における戸建住宅の設計手法に関する研究

-近年の日本の住宅を事例として」 

発表者 佐藤由香

講評者 1中本裕美子 2中村佳永 3岡澤奈美

 

・どのような研究か 

 本研究は、1980年代初め頃から指摘され始めた斜面地開発の問題点についてとりあげ、80年代後半以降の「建築家による斜面地に建つ戸建住宅」において、建築家がどのような設計手法を用いてこれらの問題点を解決する設計をしているのか、ということについてまとめている.そして、その問題の解決方法を分析することにより、これからの斜面地建築における計画手法を取得しようとするものである。

・何が得られていたか

 住宅特集から選んだ73の事例を丁寧に分析した上で,住戸形態・アプローチ方向・プライベート空間の位置・採光方法・外観について分類し,表にまとめている.その結果から,自然/景観/眺望/採光/プライバシーに対する配慮,空間の多様性について分析している.本研究により、建築家の取り組みは様々であるが、指摘されていた問題点を解決するだけではなく、斜面地であることの特性を活かし、平地以上に魅力的な空間の創造が行われていることがわかる。

・どのような価値や意義があるか

 結論では,斜面地建築は,景観,周囲の環境に十分考慮し,敷地の特性を最大限に生かして建てるべきであると述べている.確かに,分析した事例は,それぞれ条件が異なり,またそれぞれの建築家が出した解決方法であるため,斜面地建築における一般的な計画手法を取得することは難しいといえる.しかし,細かく分析・分類した結果,今後の課題を明らかにすることができ,斜面地での設計手法を学ぶ上で有意義であったといえる.

以上の理由により生活環境計画の分野において価値がある.

 本研究は,80年代以降の建築家作品を事例として取り上げた分析であるが、斜面地開発の問題が指摘されたのは一般住宅の開発についてであるから,80年代以降の一般住宅開発での取り組みはどうであったのか,また,80年代以前は、建築家の取り組みはどうであったのか、についても知りたいなと思った。

(評者/中本裕美子)


・どのような研究か

 日本は国土全体の約70%を山地が占めるという決して住み易いとは言えない国である。そのような地形のため斜面に住戸を構えることは、必然的な要求なのである。それはつまり、戦後に大規模な土木技術を投入し、斜面も平地と同じように住めないかという開発へ向かう結果となったのである。しかし斜面住宅はそのような欠点を補う空間的な魅力があるのではないだろうか。本研究では、そのような点に着目し最近15年間の斜面地戸建て住宅を例に、それぞれの特徴を取り上げ、分類を行い、分析を試みている。そしてそれらによりこれからの斜面地建築への計画手法を取得しようとするものである。

 

・何が得られてたか

 本論では、新建築 住宅特集から収集した73の例を、いくつかの面から分析している。それらは、自然に対する配慮、景観に対する配慮、眺望に対する配慮、採光方法、空間の多様性、プライバシーに対する配慮の6つに分けられている。前3つは、接地型/高床型に、後3つは、上方からアプローチ/下方からアプローチに分類され、それぞれによる特徴が述べられている。その中で、特徴的な3つの例を挙げそれぞれの土地特性や、設計者の意図した点が、より詳しく分析されている。

 

・どのような価値や意義があるか

 この研究のために集められた73の例を基に分析した結果、斜面地戸建て住宅は6つの要素によって分類できると示されている。そして各々の住宅に設計者の考え方が存在し、土地に応じた解答が提示されている。これらを一様に評価をするのは難しく、結論として敷地の魅力を最大限に生かすことが、最も望まれることだとしている。斜面地住宅のこれからの指標として、一つの考え方が提示されたといえる。

 

以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/中村佳永)

この研究は,斜面地に立つ戸建て住宅において、その設計手法、地形条件に対する取り組み、周辺環境や景観に関する配慮などの解決方法を分析することによって、斜面地建築における計画手法を取得することを目的としている。対象として、80年代以降に新建築・新建築住宅特集に発表された作品から、抽出された。

その不明確さが質疑応答で問題になった作品抽出基準は、次のような条件があげられていた。戸建て住宅であるもの。新建築・住宅特集の1985/spring-1999/12に掲載されているもの。ある程度以上の勾配があり、特徴的な敷地条件の第一が斜面地であるということ。極端な密集地ではないもの。一般の住宅規模の敷地面積をもつもの。以上の5つの条件に対し質疑応答では、条件が主観的であること、条件の設定理由が示されていないことが指摘された。

空間分析にあたっては、アプローチ方向、接地・高床型、斜面の向きに着目して整理し、他の特徴とともに比較考察した。そこから、アプローチ方向とプライベート空間の位置関係に、互いに相反するという特徴が明らかにされた。また、北斜面の作品で採光方法に対して試みられた様々な手法にも注目している。

考察・まとめでは、読みとられた設計意図として、自然・景観・眺望に対する配慮、採光方法、空間の多様性、プライバシーに対する配慮、の6項目がまとめられた。また、それらの傾向を接地・高床型、アプローチの方向、の視点で捉え直して表にまとめた。これらの表にまとめられた設計意図は、それぞれ評価に一貫性がないこと、空間分析の目的にそわないことなどが質疑応答において問題にされた。考察・まとめが小論文の流れの中で異質であるという印象を与える理由は、整理された表における空間分析が、抽出作品全体の中での関係や位置づけとして扱おうとしているのに対し、考察・まとめの表では、個々の作品の設計意図や特徴からの読みとりをそのまま並列したことにあったのではないかと思う。個々の作品の分析、作品全体の整理についてはそれぞれには評価軸を用いてなされている。そこから情報を読みとり扱う過程で混同されて問題となった部分を取り除くことで、さらに意義のある論文となる可能性を持つのではないか。

(評者/岡澤奈美)


 

<小論文講評>

対象論文「独立住宅地の単位街路景観に関する研究-御影・住吉,岡本を事例として-」

発表者 田中 千賀子

講評者 1山本直 2黒川祐樹 3山本泰裕 4岡澤奈美 5吉池寿顕

 本研究は、地域の特性が失われつつある住宅地の現状をふまえ、そういった問題に

直面していると思われる地域を選定し、どういった要素が地域の特性を生み出してい

るのかを明らかにすることで、今後の住宅計画に何らかの示唆を与えようとするもの

だ。

 本研究は、3章構成で、1章では対象地域である、阪神間山手の住宅地の選定理由

と、特徴、そして、住宅地景観の新しい分析方法として、「部分的景観」の定義と研

究の方法について述べている。

 「部分的景観」というのは、ある街路から一つの住宅を見たときに視界に入る極め

て限定された景観を指し、本研究では住宅地の景観の基を成すものを明らかにするた

めに、この部分的景観について取り扱っている。

 

 2章では、阪神間山手の住宅地である、「御影・住吉地区」、「岡本地区」を対象と

した11事例の戸建て住宅に対して、調査、分析、考察を行っている。

 11事例の一つ一つに精緻に平面図、立面図を書き、住民の方に住宅地景観に関する

ヒアリングを行うことで、「御影・住吉地区」、「岡本地区」の地域の特性をより良

く残す住宅の現状を明らかにし、さらに筆者の視点である「部分的景観」の視点で分

析を行っている。

 ここでは、住宅を立面から見たときに、連続性が見られる部分ごとに区切り、それ

ぞれの断面図より視界に入る要素を抜き出すことで、地域の特性を生み出している要

素の抽出を行っている。

 

 3章は結論で、本研究で得られた知見をまとめ、今後の住宅計画に対する課題が述べ

られている。上記の「部分的景観」の視点から行った分析の結果から、「御影・住吉

地区」は存在する物質が多様で、和風を印象づける要素と、洋風を印象づける要素が

混在しており、かつそれらから受ける印象は「御影・住吉らしさ」で統一されている

のに対し、「岡本地区」では、和風を印象づける要素が目立ち、それが「岡本らし

さ」を印象づける要素であるとしている。

 

 この研究では、地域の特性を生み出す要素の抽出方法を示し、「御影・住吉地

区」、「岡本地区」を対象として精緻に調査を行い、今後の住宅計画に対する方法論

を示した。

 以上の理由により、生活環境計画の研究分野において価値がある。

 

最後に

 小論文全体を読んで感じたことは、発表の際にも感じたことなのですが、非常によ

く調べられている論文だということでした。短期間の中で、ここまで精緻に11事例を

調べることができたのはすばらしいことだと思います。特にこうした個人の住宅を調

べるのは、いろいろ細々とした苦労があったことと思います。住民の方が、快くヒア

リングに応じてくれたのは、研究に対する真摯な姿勢を認めてくれたからでしょう。

この体験を活かして、今後もがんばってください。

(評者/山本直)

2

・どのような研究か

阪神間の代表的な住宅地である御影・住吉、岡本をフィールドにしてその場所が放つ独特の雰囲気の要素を抽出し評価する研究。

・何が得られていたか

対照的な住宅形成をしてきた御影・住吉地区と岡本地区のそれぞれにおいての田中さんが「単位街路景観」と呼ぶ物の要素とそれらが作り出す景観の印象が示されている。

「単位街路景観」を平面的、断面的にいくつかに分割しそこに現れている要素を抽出、分析している。その建物の立面を「単位街路景観」と定義する事にもっと納得させられるような根拠がほしかった。また、平面的に分割された部分の要素が織りなし作り出すその単位街路景観のリズムがその街路景観のりズムになっていくところまでの発表があれば良かったと思う。

・どのような価値や意義があるか

震災でかなりの被害を受けた地区であるだけに今なお残っている貴重な景観の要素を抽出し、分析することでこれらの地区の今後の町づくりや景観に対する配慮の土台として役に立つのではないか。

(評者/黒川祐樹)

 “阪神間らしい住宅地景観”という言葉には、漠然としていながらも閑静で趣のある古き良きイメージが含まれる。しかしながら、そのイメージを客観的に述べることはなかなか困難である。田中君の論文は、この“阪神間らしい住宅地景観”を形成している要因を明らかにし、“阪神間らしい住宅地景観”の維持,さらには計画者としての立場から魅力的な街路景観形成のための示唆を得ようとしたものである。

 まず、用語について、街路景観の基本となる一つのまとまりを「単位街路景観」と定義し、歩行方向の有無によって「街路景観」との違いを明確にしている。調査対象については、阪神間らしい住宅地として、御影・住吉地区と岡本地区の独立住宅地を選出し、その中で彼女が「個性があり単位街路景観として優れている」と判断した独立住宅11軒を事例として選出している。

 次に各事例について、住宅の立面を「連続性」をもつ部分ごとに区切り、その中にある要素とそれぞれの素材を抽出し、連続性をもつ部分の数と、要素の素材や見え方についての分析・考察を行っている。その結果、街路に面する敷地の長さをL(m)、連続性をもつ部分の数をN(個)とすると、S=L/Nの値が概ね7以上となり、彼女が「個性があり単位街路景観として優れている」と判断した独立住宅につての客観指標を得ることが出来た。これによって、御影・住吉地区及び岡本地区における良好な景観を形成する住宅を評価する際の一つの基準とすることが出来る。次に、要素の素材と見え方についてであるが、御影・住吉地区については、和風を印象づける要素と洋風を印象づける要素が混在し、尚かつ素材が多様であるが、御影石に代表されるこの地域独特の素材が、それらを統一し「御影・住吉らしさ」として印象づけていると述べている。一方、岡本地区においては、和風を印象づける要素が目立ち、それが「岡本らしさ」を印象づけているが、それは洋風住宅と統一させる共通の素材が存在しないためであると述べている。

 結論においては,住宅地の景観をよくするためには,@一般的手法として,ある一定以上の連続性を持たせること,A地域独特の手法として,地域の特徴を計画に生かすことが必要であると述べられている.

 本論文は,景観について,街路景観とは別に「単位街路景観」という新たな見方をを提案・定義し,さらに,独創的な分析手法を用いて,「景観」という客観的評価の困難な対象に対するひとつの客観的指標を提示した点,さらにその分析によって当地域の景観形成に資する手法を提示出来た点に意義が認められる.

 以上により,生活環境計画の研究分野において価値がある.

(評者/山本泰裕)


この研究は,阪神間らしい住宅地景観形成のために計画者の意識を高めることを目的とし,住宅計画に正しい示唆を示そうとするものである.そこで,景観をよくすると考えられる要素を抽出し,評価,位置づけ,分析が試みられた.

本研究は3章構成で,1章ではまず,今現在残されている良い景観を,住宅地が維持することの難しさについて,政治的・社会的・個人財政・住民と計画者の意識問題といった複雑に絡み合う様々な問題をあげたうえで,その中から計画者の意識を高めることを目的として問題提起している.ここでは,部分的街路景観を「街路から一住宅を見たときに視界に入るもの」として歩行方向に視線のある街路景観と区別して定義し、この視点の意義について論じている.また対象地区・住宅の選定理由に加えて,自然環境と歴史からこのような景観の成立についても述べている.

2章では,御影・住吉地区7事例,岡本地区4事例について,平面図・立面図・写真(部分景観),ヒアリングの結果を記述し,さらに断面図と材質の資料を加え,連続性よる区切りから抜き出した要素を分析している.分析に際して,街路と敷地奥までの間の空間を公・私・建築を基準に5段階に,樹木を通した視界の程度について葉の茂り方を基準に3段階に定義した.以上のことから,「街路に面した敷地の長さ(m)/区切った部分の数(個)≧7」を良い景観を生み出す住宅の条件の目安として提示した.ここまでが各住宅を対象にしていたのに対し,それぞれの地区毎にも考察を試みることで,統一性,材質の多様さ,歴史の影響の大きさなどに触れ,それらの要素と印象との結びつきの強さについて述べている.

3章のまとめと課題では,「一定以上の連続性を持たせること」を計画手法としてあげると同時に、そのことで個性を失いつまらない景観になることの危険性を指摘している.そこから,ひとつの住宅がその住宅地の部分的景観を構成しているという強い認識の必要性とともに,「その地域の特徴をしっかりと見据え,それを計画に生かすこと」を求めた.

今回の小論文では部分的街路景観を定義した新しい住宅景観を捉える視点が示され、調査・分析が試みられた。対象の選定理由や分析の表現方法については、再考の必要があることが質疑応答時に指摘された。また、調査結果のうち良い景観を生み出す要素として物理的な空間構成要素のみが分析・考察の対象とされたが、ヒアリングで得られた住民の意識についても、論文内で何度か言及されている「歴史や景観の持続」を裏付けるものとしての分析の可能性があるのではないかと思う。

(評者/岡澤奈美)


・どのような研究か

 本研究において、著者は、阪神間山手の住宅地を景観の優れた住宅地であるとしている。そして、近年の景観の悪化の中を踏まえた上で、阪神間らしい住宅地形成のための要素を今一度明らかにし、当地区でのこれからの景観を考慮した住宅地計画に正しい示唆を与えることを目的としている。 

 まず、「単位街路景観」という言葉を提案・定義している。調査対象は、戦前に開発されて、現在独立住宅地の性格が残っていることを条件に御影・住吉地区と岡本地区の2地区を選出し、その中からさらに、「個性があり単位街路景観として優れている」と研究者が主観的に判断した独立住宅11軒を事例として選出している。

 次に各事例について、住民にヒアリングを行った上で、その立面をその連続性を持っている部分について区切り、それぞれの断面図により視界に入る要素を「素材」・「寸法」・「見通しの程度」について分析し、その結果を考察している。

 結論では、御影・住吉地区を「和風・洋風多様な住宅が混在するが、港町のイメージと石垣・松に表れる地域性が仲介役となって、統一性がある。」とし、岡本地区を「昔からの古い和風住宅が岡本らしさを作っており、新しい住宅との仲介役は存在しないので統一性がない。」としている。

 

・何が得られていたか

・二つの対象地域の歴史的背景の理解。 

・対象とする住宅の住民が、自邸の塀・街路景観に対して持っている意識のヒアリング結 果。

・塀を含む対象住宅の立面と断面を、その「素材」・「寸法」・「見通しの程度」につい て細かく分析したその分析結果。

 

・どのような価値・意義があるのか

 この研究は、「景観」という非常に客観的分析・評価が困難なテーマに対して、ま  ず、「単位街路景観」という言葉を提案・定義し、とかく広がりがちな分析対象に対し てその範囲を細かく限定した上で、「立面をその連続性を持っている部分について区切 り、それぞれの断面図により視界に入る要素を分析する」という分析手法をとってい  る。この分析手法は、独創的であり、かつ他の対象地域・住宅でも適用可能な汎用性を 持っている。独立住宅の街路景観の客観的評価の指標として、このような分析手法を提 示している点に価値がある。  

・「--らしい景観」を作るためには、その景観を形成する多様な要素をつなぐ仲介役が 重要であると指摘し、その仲介役が歴史や素材といったその土地の地域性であるとして いる点が興味深い。

(評者/吉池寿顕)


<小論文講評>

対象論文「住吉山手における`安らぐ空間`を形成している要素についての研究」

発表者 平岡淳也

講評者 1山本泰裕 2中村佳永

 

 真に心を落ち着ける場所が少なくなった現代の都市において、人々は安らぎや癒しを求めていると言える。その様な背景を踏まえ、平岡君は住吉山手地域の良好な住宅地における街路空間を「安らぐ空間」と位置づけ、その「安らぐ」要因と、それを形成するに至った過程を探ろうとした研究である。

 

 その際、彼はまず当地域の歴史的概要と地理的特性を調査した上で、@地名からの考察とA土地利用の変遷からの考察を行っている。

 まず、地名からの考察においては、住吉村当時の小字名から、村内のそれぞれの土地の持っていた場所性と土地利用を読みとることによって、その土地の持つ歴史的意味や当時の人々の生活を把握している。

 次に,土地利用の変遷について,彼が「安らぐ」要因として最も重要視した水路と石積みの壁に着目し詳しく考察している.ここでは,過去の水害の歴史の中で棚田や水路の法面が石積み化していったこと,そしてその石積みのが現在まで受け継がれ,現在の街路空間の基礎を形成していること,さらに石垣の継承に「観音寺クラブ」の精神が重要な役割を果たしたことが述べられている.

 結論においては,土地の歴史や意味を理解した開発者の存在と,住民のその土地の歴史や知恵を受け継ぐ意識が,アイデンティティーの強い住居環境を形成し,それが「安らぐ空間」を作り出すことが述べられている.

 

 本論文は,住吉山手地域の「安らぐ空間」の形成要因を探るために,歴史や地名,土地利用の変遷という,時間軸あるいは過去の人々の生活という視点を含んだバランスのとれた総合的な考察を行っており,当地域の環境計画に対する示唆が得られた点に意義がある.

 

 以上により,生活環境計画の研究分野において価値がある

(評者/山本泰裕)


・どのような研究か

 現代の住宅地開発が画一的な計画だと常に指摘されている。住吉山手地区は、古くより栄え、多数の立派な家が立ち並び良好な居住区を形成する地域である。筆者は、この地区の雰囲気を他の画一的な住宅地計画では得られないものが含まれていると感じた。本研究では、この住吉山手地区における雰囲気を’安らぐ空間’として、その形成の理由となる要素を明らかにすることを目的としている。

 

・何が得られてたか

 まず、住吉山手地区における地名の調査が行われ、各地域における地名と、それに伴う意味について、注意深く考察されている。そして、’安らぐ空間’を形成する要素について、主に水路と石積みの壁の例を取り上げ、過去の資料を基に現在の状況を解明している。この中で水路は過去において、扇状地で傾斜の急なため度々氾濫を起こしていたが、現在は’安らぐ空間’の形成のために重要な要素であるとしている。石積みの壁は、御影石の採掘されるこの地方独特の表情をしており、河川の流れに影響を受け、角の取れた石が全体を占めている。この壁により柔らかい雰囲気が街路に現れ、それと共に植林が可能な構造のため、緑あふれる景観を形成するに至ったことが述べられている。また、「観音寺クラブ」という団体による、献身的な活動も評価されている。

 

・どのような価値や意義があるか

 住宅地において’安らぐ空間’とは最も重要な要素の一つに数えられるだろう。本研究では、この’安らぐ空間’の形成過程とその要素について分析している点において評価できる。住吉山手地区はこれら要素に恵まれ、また過去からの継続的な発展を成し遂げてきた、ということを明らかにしている。

 

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/中村佳永)


<小論文講評>

対象論文「戸建て住宅地における植栽の促進要因及びその可能性」

発表者 三谷勝章

講評者 1山本竜太郎 2北聖志 3宮本弘毅 4寺嶋卓也 5中村佳永

 

・どのような研究か

 植裁にはなにか人を和ませるものがある。大阪市阿倍野区晴明丘小学校南西部に位置するある戸建て住宅地では植裁が増えてきてる。三谷はここに注目してなぜ植裁が増えたのかということを解明しその上でその植裁の増殖が近隣住民にどのような変化を与えているのか、その可能性を明らかにしょうとしている。

 

・何が得られていたか

 まず植裁が増えたことによって人々の心理にどのような変化が起きたかということを明らかにしている。そこでは「道が明るくなった」「花が増えた」などの好印象な意見が見られる。そして植裁がある住宅を中心に植裁が増殖していったことがわかった。その起点となった住宅の住人は「近隣住人に喜んでもらいたい」と地域とのつながりを考えて始めたことである。この考えはオープンガーデンを通して近隣の人々に伝わり住宅地は現在のような植裁のあふれるものとなった。植裁が増殖していった原因としては「好き」「きれいにしたい」「まわりがしているから」などいろいろな原因が挙げられるが最初の一人が「バラ園」を造らなければこのような街路は形成されなかったであろう。また植裁を足がかりに近隣住民同士で交流をもつことも明らかになった。

・どのような価値や意義があるか

 近年、人々のつながりは希薄になってきている。いや、現実には電話やfax、インターネットなどの発達により人と人が顔を見合わせてつながるという事が少なくなってきたといえる。コミュニティは減少し、代わりにネットコミュニティなる言葉が現れ、大学の授業では私語が減り、代わりにメール私語が増えてきている。このような社会の急激な情報化が一概に悪いとはいえないが、やはり寂しい事には違いない。人と人が顔を合わせてコミュニケーションする事が大事なのではないだろうか。三谷の研究はその人と人とのつながりを植裁によって形成することができるということを示しているといえよう。

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/山本竜太郎)

 この研究は小さい近隣単位での環境形成のあり方とその要因ついて述べたものであり,大変興味深い事例を取り上げている.

 研究から得られた知見について以下に整理する.

・植栽を通じた近隣単位の確認

・住宅地形成過程からの近隣単位成立の要因

・私有地を一時的に公開することによる地域内での交流の確認

・植栽方法からの有効な前庭空間計画手法

また,この研究の発展性のキイワードとして

・様々な要因による小規模近隣単位形成

・私有地の一時的公共利用

・オープンガーデン

などが挙げることができ,その基礎的研究として価値がある.

 また,今日の様々な社会的現象の要因として捉えられることが多い近隣関係について,過去の濃密な地縁関係とは異なる,これからの適当な関係の可能性を模索しているところに意義がある.

 以上のような理由により生活環境計画の研究分野において価値がある.

(評者/北聖志)

・どのような研究か

 建築の外部空間は、建築へのアプローチとしての機能、周辺道路や敷地外の環境に直接的に対応する場所、都市空間の形成に関わる重要な要素として捉えられる。すなわち、建築への環境、建築周辺への環境、建築を含む都市への環境として考えられ、その建築の外部空間だけでは作り得ない環境が存在し、都市内における連続性が必要となってくる。建築の外部空間には、私的空間と公的空間があり、連続性の展開には住民の外部空間に対する意識が不可欠である。大阪市阿倍野区晴明通りの戸建て住宅地は、比較的居住者が積極的に緑化に関わっている地域であり、植栽の促進要因とその可能性を明らかにすることを目的とする。

・何が得られていたか

 緑化促進への大きなポイントとして、調査対象地の緑化は社宅から個別分割化され、うっそうとしていた緑に手が加えられたこと、バラ庭が存在していることが挙げられる。ゼロからの緑化ではなく、多すぎる緑を少なくするということや、バラ庭の美しさなど、良くも悪くも緑化の具体例がこの地域にあったことが、住民の緑化への意識を向上させたのではないだろうか。

 

・どのような価値や意義があるか

 “この住宅地を通り抜ける通行人が住人と植栽をきっかけに会話が生まれている。”と本文中にあるように、外部空間の緑化はコミュニケーションの一つの要因となる。しかし、 植栽の目的は、会話のネタを提供するだけの存在なのであろうか。たぶん、ここを通行する人は、常にその植栽を楽しみながら歩いていたのではないだろうか。そして、たまたまそこの住人と顔を合わせた時、植栽を介して会話が生まれたのであろう。地域をつなぐ共通項。コミュニティーを考えるうえでのヒントがここにあるのではないか。

 

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/宮本弘毅)

・どのような研究か

 大阪市阿倍野区晴明通の戸建て住宅地の豊かな植栽に着目し、植栽が盛んになった経緯を解明し、さらに植栽によって近隣住民にどのような影響を与えているのかを実際にヒアリング調査・分析を行い明らかにしようとしている。

 

・何が得られていたか

 簡潔に言えば、植栽を媒介として近隣住民同士の交流が生まれたということである。植栽が盛んになるきっかけとなったのは住民個々の「植栽が好きだ」、「きれいにしたい」ということからである。個々の働きによって周りの住民も影響され、街区が植栽で華やかになった。以前に比べ「道が明るくなった」「花が増えた」といった好印象な住民の意見も見られる。ここで重要なことは、個々の環境を豊かにしようという働きが知らず知らずのうちに周辺の住民にも影響し自分達の住む街区環境を良くしよういう動きになったということである。さらに「バラ園の開放」に見られる交流が行われているという事実が得られている。

 

・どのような価値や意義があるか

 人間関係の希薄さが時代と共に進んできている。その中で、コミュニケーション、交流が大切だと言われてはいるが何もないところからは生まれないし、無理にしようとするものでもない。共通の趣味、志といった「何か」を共にするものがなければそういったものは生まれてこないと私は考えている。その「何か」というものがこの小論文ではごく身近なものである植栽であった。三谷の研究はごく身近な要素から人と人がつながっていくという過程とその可能性について示しているといえる。

(評者/寺嶋卓也)

・どのような研究か

 都市空間は私的空間となる住宅と、公的空間となる街路・公園等と、それらをつなぐ接点となる半私的・半公的な空間が存在し、段階的な性格を持っている。都市空間に限ったことではないだろうが、そこにはより狭い範囲で巧妙に、この性格が形作られているといえる。この研究はその中でも接点となる、半私的、半公的な空間に着目している。そして接点に対して、住民側から積極的な働きかけがあるかどうかということを植栽を指標にして分析し、どのように利用されているか、どのような性格があるか、どのような可能性があるか、を明らかにすることを目的としたものである。

 

・何が得られてたか

 調査対象地区は大阪市阿倍野区の戸建て住宅地である。この地区は現在、多くの植栽の施された住宅が並び、非常に緑豊かで美しい景観を形成している。明治時代より高級住宅地として周辺に認識されるようになったが、1960年頃には大きな社宅と共に、背の高い塀が建ち、また木々が生い茂っていたため、薄暗くあまり評判は良い道ではなかったようである。徐々に植栽が整ってきたのは、その社宅が縮小し、変わりに戸建て住宅が建ち始めた1975年頃からである。現在の植栽の分析により塀が無く見通せること、または塀がある場合でも、塀に植栽が施されている場合により評価が高くなることも指摘されている。この地域にはバラの栽培に力を注いでいる住民が居て、近隣の住民の要望によりオープンガーデンの日が設けられており、交流も芽生え新たに住民への相乗効果を生みだし、今後の可能性を含んでいるものとしている。

 

・どのような価値や意義があるか

 現在は植栽や園芸が社会全体を通じて盛んである。この地域は、大きな場所を占めていた社宅が縮小し、その後、戸建て住宅が立ち並んだことにより、よい景観へと移行してきたことが解った。時期的には経済的にも余裕が生まれた時期であり、社会の雰囲気が影響したことも一つの要因であると思われるが、空間的な面から植栽の促進条件を解明をしたといえる。そして、通行人に対して良いと感じられる植栽についての指標を示している。またオープンガーデンと呼ばれる、制度により新たな植栽の可能性が述べられている。この制度は周辺環境の形成や、コミュニティーへの効果があり、次なる発展が期待される。

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/中村佳永)


<小論文講評>

対象論文「住宅の表空間の形態と交流の行われ方」

発表者 正井陽子

講評者 1牛戸陽治 2駒井陽次 3中村佳永 4宮野順子

 

・どのような研究か

 居住地域の一員として、安心して暮らし、居住地域に対する愛着を持つためには、近隣との交流が重要であり、必要不可欠なものであるが、今日、近隣との交流が希薄になってきているため、本研究では、その原因として、通信手段・交通手段の発達による拠点の分散のみならず、住戸の閉鎖性にも注目し、小規模戸建て住宅密集地における近隣の交流を研究対象に、行為内容、空間特性から、その要因を明らかにすることを目的としている。

 

・何が得られていたか

 本研究では、調査対象地区として、街路幅3.5?4.5mの小規模戸建て住宅密集地である、神戸市長田区上池田1丁目を取り上げ、観察・ヒアリングにより、交流の行われている様子、場所について調査し、玄関周りの形態、住民の属性といった観点とも照らし合わせ、交流の要因を分析した結果として、ベランダ越しの会話、見通し良好な窓越しの会話、植栽まわりでの立ち話といった交流には、玄関への進入の抑制要因である門・植栽・階段・塀または柵の、有無や形態が大きく影響しているとし、その中でも特に、街並みに潤いを与える植栽による近隣への影響の相乗効果が、さらなる交流促進の一要因になるとしている。

 

・どのような価値や意義があるか

 地域社会を形成していく上で重要な近隣との交流が、今日、希薄になってきている原因として、住戸の閉鎖性に注目し、交流の実態を、観察・ヒアリングにより明らかにすることにより、その要因を玄関まわりの形態に見出したことは評価できる。

 

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/牛戸陽治)


・どのような研究か

 自分の居住地域に対し安心や愛着を感じるたりするのは、近隣との交流によるものが大きいと考えている。しかし、居住地域を拠点としない住民や、プライバシーを守ろうとする閉鎖的な住戸形態の増加により、近隣との関係が希薄になってきている。本研究は、下町情緒あふれる庶民住宅のまちであり、阪神・淡路大震災を乗り越えた長田区の小規模戸建て住宅密集地を例にとり、住戸の内と外や住戸周辺での交流やそれを促進・抑制する要因を明らかにすることを目的としている。さらには、近隣交流において心地よとされる住宅の表空間を、つくり出す助けとなると考えている。

 

・何が得られたか

 傾斜地であり、幅3.5?4.5b街路に挟んで向かい合う住宅は2bの高低差を持つ、小規模戸建て住宅密集地を対象地区としている。ヒアリング・路上観察をすることによって住民の属性、近隣住民との交流やその要因などを分析を試みている。比較的小規模な住宅であることもあり、路上での立ち話以外にも窓越しの会話やベランダ越しの会話までも多く観察された。これらの交流と玄関前の形態や植栽の有無や形状によって分析も行っている。その結果より、玄関における段差の高低や植栽は、近隣の住民の進入具合におおきく関係していることが明確である。また、植栽の有無や多少は住民の外への意識の現れでもあり、植栽の多い住民は街路に出て世話をする機会も多く、必然と近隣住民と交流する機会も多いことも明らかである。そのほか、内を見通せるかどうかは、窓越しなどの内と外交流の大きな要因になっている。      

 

・どのような価値や意義があるか

 玄関の形状や段差、植栽などは人の領域意識の現れでもあり、それらはやはり近隣住民の進入にも大きく影響を与えており、この結果は人の領域に対するとらえ方を考える上で意義あるものである。また、敷地内外における植栽は住民の意識の現れでもあり、街路の一部までの生活の場と考え植栽をしている住民は、必然と近隣の住民との交流も多くなり、住民の意識と交流を知る上でも大きな意義をもつ。

 しかし、対象地区は街路を挟んで向かい合う住宅に高低差があるという特徴がありながら、高低差のない一般的な街路に面している地区との比較がなく、特徴に対する検討が行われていない。以後、このような検討も行われることを期待したい。

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/駒井陽次)

・どのような研究か

 密集した居住区における近隣との交流は、欠かせないものであり、様々な段階と密度を経て存在する。つまり交流の行われる空間と位置は重要な役割を果たし、また何らかの要因を持っているのではないだろうか。交流の仕方にも、より促進されることが望ましいこともあれば、ある程度制御され、抑制される方が都合のいい場合もある。本研究では、典型的な小規模戸建密集住宅の近隣との交流に着目し、その行われる、行為や場所、空間的な性質を明らかにすることを目的としている。

 

・何が得られてたか

 調査対象地区は、神戸市長田区にある南斜面に建ち並ぶ住宅地である。東西に走る街路は緩やかにカーブを描いており、街路を挟み玄関の床の高さが約2メートルずつ北側に下がっている。本研究では観察とヒアリングにより、交流の行われる様子と、その人についての属性を明らかにし、分析を試みている。結果として、玄関周りの施しにより交流の行われ方がある程度規定されているといって良い。その中でも植栽の影響は大きく、見た目にも美しい表情を見せ、また植栽自体が交流の原因となり、さらに近隣への影響の相乗効果があることが指摘されている。そして玄関への進入の度合いを規定する要素として門、植栽、階段、塀または柵があげられ、それぞれの有無や形状の比較により、見通すことが出来る状態では交流がより促進されるとしている。

 

・どのような価値や意義があるか

 人が近隣の住戸の玄関先で交流をするとき、あるきっかけを持ってその位置で止まっていると考えられる。その位置は居心地の良い空間や場所の性格を備えているといって良い。表情が確認できること、他人のじゃまにならないこと、気持ちの良い場所であることなどいろいろな条件が考えられる。それらを、解き明かす上で玄関周りの施しと、街路と住宅内の人の交流に着目し観察とヒアリングによる分析は、有意義なものだと考えられる。

 

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/中村佳永)


 本研究は、住宅において、近隣との交流を抑制する、あるいは、促進する要因を表空間と称する道路に面するファサードの構成要素にもとめ、調査したものである。

 ここで調査対象としているのは長田区の密集市街地における戸建て住宅であり、比較的緊密な近隣関係を形成してきたと思われる地区である。

 居住者へのヒアリング調査と、道路から住宅内部に至るまでの空間(植木鉢などの道路へのあふれ出し、門扉、外部階段、道路に面する窓やベランダ、その向こうにある居室)の図面採集による分析をおこなっている。

 

 ここで得られた知見は「ベランダ越しの会話」である。密集市街地の住宅におけるベランダの役割は、物干しなど、特にプライベートな屋外空間を得るために設計される。もし、「ベランダ越しの会話」が特に親しい間柄でなくとも、その地区一般に見られるのであれば、新たな下町露地空間の再生にもつながる可能性を秘めている。

 一方で、近隣の人との交流を促すための要素として、門・階段・植栽・塀を挙げている。しかし、こういったしつらえは、親しい人には入りやすく、あまり親しくない人には入りにくくするためのものである。「窓の前に植栽を置く」「門を開けておく」などは、居住者自身がプライバシーの確保と近隣とのつながりを調整していると考えられる。一概に入りやすいしつらえほど近隣との交流を深めるというのは少し暴力的な結論だ。

 近隣といえども、その中で親しい人とそうでない人がいる。それは近隣関係が全くの地縁ではなく、長年の居住地近接をきっかけにした「主婦層」「植栽友達」「世代がおなじ」などの選択縁からなっているからである。

  それらを踏まえた上で、今後、近隣との交流を誘発する仕組みとプライバシーを確保する仕組みとのバランスをとりえる住宅の「表空間」を考察していくことが望まれる。

 

 居住地選択が自由になった現代において、近隣関係の問題は、「もともとあるもの」ではなくて、「新たに構築していくもの」になっている。したがって、この研究の視点は、住環境形成における重要な視点である。

以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/宮野順子)


<小論文講評>

対象論文「住民による豊かな外部環境を育成していくための仕組みについて

                                     ?城崎公営住宅内島団地を通して?」

発表者 松本健二

講評者 1牛戸陽治 2山本有喜子 3駒井陽次 4中村佳永

・どのような研究か

 本研究では、戦後行われてきたニュータウン開発や都市計画により計画された住宅地には、多様な生活像に対する配慮を欠いたものが多く、地域に対して自己完結的な住宅の集まりでしかないのではないかと疑問を抱き、その一解決法として、住み手が計画に参加することにより、住民管理に対する意識が高まり、豊かな住空間が生まれるものと考え、これからの住宅地計画の指針となるよう、住民による外部環境の育成・管理の要因を、特に植栽に注目し、明らかにすることを目的としている。

 

・何が得られていたか

 本研究では、計画側と住民とのコミュニケーションをとることにより、住民参加的計画に近い過程をとり、多様な生活像に対して配慮することができる、立て替えという形式により1961年に完成した、兵庫県北部に位置する城崎公営内島団地を調査対象地域とし、外部環境を含めた内島団地の平面図、断面図の詳細なプロット、植栽についてのヒアリングにより、内島団地における住空間の実態を分析した結果として、外部環境の育成・管理を促す要因は、住民による明確な敷地認識、団地内のオープン化、集会所前の通りを蛇行させることによって生じた、植栽行為を可能にする隙間にあるとし、特に、植栽を通じた住民同士の交流が大きく影響しているとしている。

 

・どのような価値や意義があるか

 多様な生活像に対する配慮を欠いたものが多い近年の住宅地に対して疑問を抱き、内島団地が、豊かな住空間を維持できている要因を、住居形態や配置計画といったハード面と、外部環境の育成・管理や、植栽を通じた住民同士の交流といったソフト面の両面から分析、考察していることは評価できる。

 

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/牛戸陽治)

・どのような研究か

 筆者は集まって住むにあたって住民管理に対する意識が重要であると考え、また、住み手が計画に参加することによって住民管理に対する意識が高まるという考えを持っている。この研究は設計者と住み手による話し合いをもって計画された城崎公営住宅内島団地を事例として、住民の外部環境の育成や管理がどのような要因によって促されているかを明らかにしようとするものである。

 植栽の様子を図面におとし、適宜ヒアリング調査をおこない、平面と断面から考察をおこなっている。

 

・何が得られたか

 領域については、東西方向に関しては2住戸間の壁の延長線を意識しており、南北方向に関しては段差、仕上げの違い、壁の延長線などを意識している。個人で管理するものの他に、集会所の周りなど共同で管理する植栽もみられた。これらは、参加方式によって住民に共通意識が芽生えた結果だといえる。また、内島団地外の人たちも団地内の道路を通学路、生活路として使用しており、内島団地外部の人々とのコミュニケーションもとられ、団地住民に通行人に対して植栽を見せるという意識がうまれている。このことから外部環境の育成・管理を促す要因の1つとして、周囲の人との植栽を介して生まれるコミュニケーションがあげられる。参加方式による共通意識に住民たちの実際の生活が加わり、好循環をみせている。しかし、新規入居者には植栽の管理が見られず、参加しがたいのかもしれないという不安が残る。以上の結果が得られた。

 

・どのような価値や意義があるか

 植栽をきっかけにちょっとした会話がうまれるというように、植栽の管理はコミュニケーションをうみだす1つの要因であり、豊かな景観をつくりあげるものである。また、植栽が共同意識を持つきっかけにもなっていることがわかる。地域コミュニティを考える上で、植栽が1つの有効な手段であることをこの論文は示している。

  

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/山本有喜子)


・どのような研究か

 戦後行われてきたニュータウン開発や都市計画によって生み出された画一的な住宅地や、住民の生活の場でもある路地が多く見受けられる昔からの生活の臭いがする集落、対極にある2つといってもいいであろう。これらは、どちらが絶対と言い切れるものではない。求められるものは、両者のバランスである。しかし、街路空間の生活臭さなどは、一朝一夕で得られるものではない。「参加方式」がそれに対する答えだと考えている。「参加方式」は住民管理の意識を高め、それは外部環境の育成・管理などに現れる。本研究では「参加方式」によって計画された城崎公営住宅内島団地を例とり、外部空間の植栽についてヒアリング・観察することによって外部環境の育成・管理を促している要因を明らかにしようとするものである。

 

・何が得られたか

 内島団地は「参加方式」によって計画されており、主生活路を蛇行させ植栽を行える隙間をもうけたり、隣り合う住戸の間を路地的な空間とするために一間程度に押さえるなど、工夫がなされている。さらに、住民管理の意識の高さもあいまって、見事なまでの植栽が施されている。その結果、地理的な要因もありメインストリートは外部の人々も利用する生活道となっており、コミュニケーションをとる機会を与えてくれている。また、住戸と住戸の間の路地的空間は植栽も行われ、まさしく路地と化しており進入しがたい感じさえ受ける。さらに、植栽における住民の境界線は、必ずしも住戸の境界線と一致している訳でもなく、住民同士の関係に影響されていることが明らかである。 

 

・どのような価値や意義があるか

 植栽は、住民における領域意識の現れでもあり、住民管理の意識の現れでもある。さらには、植栽は住民のその地に他する満足度の現れでもあるかもしれない。本研究は、植栽が近隣交流に有効であることを明らかにするだけでなく、「参加方式」による計画のあり方を考えるにあたって、非常に有意義である。

 

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/駒井 陽次)


・どのような研究か

 現在のニュータウンが抱えている問題の一つとして、住宅地であるにもかかわらず閑散とし過ぎており、人の気配が感じられないことが指摘される。住宅地が静かであるというのは一方で理想的なことでもあり、是非は付け難い。本研究ではそのような問題点を解決する一つの要素として外部環境への意識のあり方を取り上げている。外部環境については通常計画の行き届来にくいものである。調査対象となった城崎公営内島団地は設計者と入居者の 討議の末、建設された住宅であり、外部環境への住民の意識がより反映されたものとなっており、積極的に住民が外部環境へ働きかけられる事例となっている。この内島団地の調査を通じ、10年前の建設当初の比較と共に、外部環境が持つ性質と、それらを育成、管理していくことを促している要因について明らかにしていくことを目的としている。

 

・何が得られてたか

 内島団地は4段階に分けた建設がなされ、入居者には入居期間の違いがある。その中でより新しく最近の入居者においては、コニュニティーへの関わりが弱いという調査結果が出ている。それらは、比較的植栽への働きかけが少なくなっているが、詳しいことは明らかになっていない。この内島団地には住戸群の真ん中を東西に道路(「メインストリート」筆者による)が走る。立て替えの前とは明らかに変化した部分である。この道は、外部の人々に開放されており、住民の人々コミュニケーションをとる場であると共に、外部の人とも交流を図れる空間でもある。地元の人々が日常的に通る道となり、評判も良い。植栽が交流の原因となることも指摘されている。これらの要因は、空間的な配慮の結果と、住民の意識が相乗効果を生みだしている為であるとしている。

 

・どのような価値や意義があるか

 内島団地は10年の間に大きく表情が変わり、生活感の溢れる植栽の豊かな、素晴らしい空間を育んできたとし、その要因としてメインストリートの存在、適度な植栽空間の存在、住民の意見の反映、等が指摘されている。本研究では、住民の意識の反映する指標として、植栽に着目している点において評価できる。また詳細な図面採集や、住民へのヒアリングを基に調査を進め、総合的に分析をしている。これらにより、住宅地で植栽が空間や交流に対して有効にはたらいていることが明らかにされている

以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/中村佳永)


<小論文講評>

対象論文「内島団地における多様な家族とその住まい方-新規入居世帯を対象として-」

発表者 近藤 慶

講評者 1山本直 2中本裕美子 3稲地秀介 4宮野順子

 

 本研究は、家族の住まい方調査を行い、分析することで、多様な住まい方を促す具

体的要因を明らかにするものである。

 

 上記の目的のため、住まい方が多様であると思われる城之崎町内島団地の新規募集

により入居してきた8世帯の家族について詳細に調査を行い、城之崎町全体に住む

人々の属性と傾向、また城之崎町内島団地の継続世帯の属性と傾向に対して比較、分

析を行う。

 調査の中心となるものは、ヒアリングと、観察によるもので、それらから詳細な住

戸プラン・空間の使われ方を得ている。

 

 調査により明らかになったことは、全住宅のプランと全住宅での住まい方や、生活

時間帯、定住思考など、様々な要素が重なり合って多様な住まい方を生み出してお

り、またその影響を与える要因は家族によって異なることである。

 

 最後にまとめとして、本研究で得られた知見をまとめ、多数の住まい方に影響を与

える要素の受け皿となるべくした公営住宅の計画に対する課題が述べられている。

 発表の際には、「多様な住まい方をしている家族の傾向に対して、一般的な傾向を

見いだしたい」とする考えに対して、いくつかの意見が述べられていたが、それはお

そらく8世帯という限られた要素から知見を得ようとすることに対する考えを反映し

て出てきた言葉であり、私個人としてはむしろ8世帯とはいえ、個人の住宅をこれほ

ど精緻に調査したならば、十分に意味のある結果が得られているのではないかと思

う。

 

 以上、この研究では、精緻に渡る公営住宅内での住まい方調査を行い、そこで営ま

れている多様な住まい方を明らかにし、今後の公営住宅の計画に対する示唆を与え

た。

 以上の理由により、生活環境計画の研究分野において価値がある。

 

最後に

 

 OHPで住戸の平面図を見た時に、本当によく調べたなあと思いました。個人の住宅

内を調査することは、いろいろややこしい問題もあって本当に大変だったと思いま

す。重ねて言うことになりますが、8世帯とはいえ、ここまで調べ上げることは難し

いし、その意味でも、十分内容のあるものに仕上がっていると思います。この姿勢で

今後とも頑張ってください。

(評者/山本直)

・どのような研究か

 本研究は、城崎町営内島団地において調査を行った際、新規入居世帯にみられた、継続入居世帯とは明らかに異なる「多様な住まい方」について興味を持ったことから始まっている.新規入居8世帯の住まい方を,それぞれの観察・ヒアリング調査によって捉え,共通点や傾向を分析し,その結果から住まい方を多様にしている具体的な要因を明らかにしようとしている.

・何が得られていたか

 城崎町の住民の属性、住宅の傾向、また内島団地の住民のそれについて把握したうえで、新規入居者の住まい方、特徴を、観察・ヒアリング調査による結果から捉えている。これらの分析から、住まい方に影響を与える要因として、基本属性・就労形態・前住宅のプランと前住宅での住まい方・親戚づきあい・生活時間帯・プランニング・定住志向を挙げ、これらの要素が重なり合って、多様な住まい方が生まれているということを明らかにしている。

・どのような価値や意義があるか

 本研究は8世帯という限られた家族に見られた特徴からの分析ではあったが、興味の対象をしっかりと捉え、住まい方を多様にしている要素を客観的に抽出できたことに価値があるといえる。また、多様な家族の住要求を受け止め、計画に反映させるための一つとして、この具体的な要因を知ることは有意義であったといえる。

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある.

(評者/中本裕美子)


 この論文は,城崎町営内島団地に住む新規居住者8世帯を対象とする調査観察から,それら居住者の住まい方を多様なものとしている具体的な要因を明らかとしようとするものである.

 筆者は,今日では一般的な居住形態になったと考えられる核家族,高齢者の単身居住がマイナスの画一的なイメージによって捉えられているとしている.しかしながら筆者は,これら一括りにされた「家族」にも様々な「個性」存在がするはずであるという仮説を起ている.この論文はこの仮説のもとに行われたものである.

 この論文は4章構成からなる.

 第1章では,筆者は家族像の多様化が議論されるなか,容易な数量化による指標からでは拾えないような「家族の個性」をくみ取ることを意識した詳細な調査分析の意義を論じている.

 第2章では,城崎町営内島団地がある城崎町の居住者像及び居住形態の変化を,1985年,1995年の国勢調査及び住宅統計調査結果から分析・考察している.さらに,城崎町における城崎町営内島団地の居住者像及び居住形態の位置付け行っている.

 第3章では,城崎町営内島団地の新規居住者8世帯を対象として前住宅のプラン(内島団地入居以前の住宅プラン)などを含む,生活に関する詳細なヒアリングと住戸プラン及び使われ方に関する観察調査を行っている.次にこの調査結果を分析し,新規居住者の多様な住まい方への影響を与えている因子として「家族型と世帯員の年齢構成」の関係,「生活時間帯・就労形態・世帯員の年齢」の関係,「親戚づきあいとプラン」の関係「前住宅の間取り」,「プランニング」「生活時間帯と近所づきあい」の関係が重要であることを明らかにしている.

 第4章では,まとめとして上記の調査結果の分析・考察から得られた知見を整理している.

 この研究により居住者の多様な住まい方及びそれら多様な住まい方への影響を与えている要因が明らかにされた.

 「核家族」など,一括にりされた「家族」にも様々な「個性」存在がするはずであるという視点は,既往研究に多く見られるものであり,目新しさは無い.しかしながらこの研究は,計画論におけるこのような住まい方の多様性に関する視点の重要さを今一度確認させるものである.加えて城崎町営内島団地に関する継続的研究において新しい視点であり,今後の研究への基盤的研究となりえるものの一つであると考えられ,この2点においてこの研究は意義のある研究である.

(評者/稲地秀介)

 本研究は筆者自身が内島団地住まい方調査の中で感じ取った「住まい方の多様性」をもとにまとめられたものである。研究では特に様々な住まい方が見られた内島団地の新規居住世帯を対象としている。最初に、筆者の感じ取った城崎での家族型の変化を国勢調査、住宅統計調査をもとに実証し、そこで3世代同居の減少、高齢単身者の増加などの傾向が明らかにした。その上で、実際に調査した住宅、家族、住まい方、生活時間帯、親戚づきあい、定住指向、以前住んでいた住宅など非常に詳細に調査し、現在の住まい方との関係を探り、それと同時に鮮明なそこでの住まい方を描き出している。

 

 ここでえられた知見では、新規入居世帯は、家族型としては核家族が多く見られ、多様とは言いにくいが、その住まい方は、住居歴や定住指向、その他親族との近居などが影響し、とても多様性が見られた。

 上記のように本研究は実際にはなかなか観察できない家族・住まい方の多様性に関して、もう一度鮮明に感じさせてくれるものある。今後、住宅供給において、標準家族という家族型の一般化による一般性ではなくて、家族型を超越したところで住まいに求められるものを明らかにしていくことが必要である。

以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/宮野順子)

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