平成13年度小論文講評

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伊藤昭裕 岡野綾子 小笠原友里 金澤守一 阪野直子 土谷智子 松田菜穂子 三笠友洋


対象論文「小学校の屋外空間における休み時間の子どもの遊び場所に関する研究」

発表者 伊藤昭裕

講評者 1宮本弘毅 2山本有喜子 3小畦雅史

 子どもの遊びでは場所と行為の関係が重要である.この研究の中でいうと,場所とは自然や遊具,オープンスペースなどであり,行為とは虫探しやドッジボールなどとなる.

 この研究は,小学校の屋外空間において休み時間での場所と行為の関係を,2つの分析によって観察調査を分析しているが,分析1では行為→場所について,分析2では場所→行為について論じているのではないかと思う.分析1の「学年ごとの遊び場所の分布」では校庭での遊んでいる子どもの人数をプロットした分布図を用いて,遊びによって展開される場所について整理されており,分布2の「場所ごとに見る子どもの遊びの種類」では場所ごとに広がる遊びの種類について整理されている.遊びを見る際に複雑にからみあってしまう場所と行為の関係について,場所→行為と行為→場所という一方向に分類して分析していることを評価したい.

 しかし,分析2の表3-8における遊びの分類には少し疑問が残った.この研究では遊びを「自然遊び」「顕在的遊具遊び」「潜在的遊具遊び」「社会的遊び」「オープンスペース遊び」「空間作り型遊び」の6種類に分類しているのだが,遊びの発展段階において,「潜在的遊具遊び」や「空間作り型遊び」は「社会的遊び」の一部であり,「自然遊び」や「オープンスペース遊び」は遊具とともに,遊びの種類ではなく場所を指す名称ではないだろうか.遊具のあるところで発展する社会的遊びが,潜在的遊具遊びであり,行為に対する影響が薄い場所における社会的遊びが空間作り型遊びとなるのであって,同じレベルで分けられる分類ではないように思われる.また,自然のあるところでは自然遊びが展開されるし,オープンスペースではオープンスペース遊びが展開されるのは当然のことであり,場所と遊びを2軸に表を作成しようとするならば,遊びの分類分けの段階で場所の概念ははずすべきでなかっただろうか.

 考察において,観察調査から得られた結果については,学年ごとに遊びを見たり,遊びマップと照らし合わせたりと,よく考えているという印象を受けたが,“?低学年は周囲を囲まれた狭い空間でよく遊んでいる?”という考察では,せっかくの場所→行為という分析が入っていないし,“?遊具によって使う学年が判明?”したことから,屋外空間を豊かにすることが必要であるという提案は,やや飛びすぎているのではないだろうか.

(評者/宮本弘毅)

 本研究は、小学校における豊かな遊び空間を提案する手がかりとして子どもの遊びに着目し、遊びの現状を調査・分析することにより、遊びに関わる要素の抽出と学校内の遊び空間改善の可能性を探ることを目的としている。

 本論文は4章で構成されている。

 第1章では研究の目的と方法について述べられている。筆者は、教育方針が変化しているにもかかわらず、いまだに明治時代の設計理念に基づいた学校建築が多いことに問題意識を持っている。特に屋外空間に関して、多くの遊びの要素を含んではいるものの実際には利用できないスペースや遊びを妨げる障害があるなど、計画上の配慮のなさを指摘している。そこで、街に遊び場の少ない都心部の小学校の屋外空間を子どもの遊びの場として見ることによって、屋外空間の計画に対する手がかりを得ようとしている。研究の方法は、対象校において休み時間の児童の行動観察調査を行い、学年・場所・遊びの種類によって分類・整理し考察するという手法をとっている。

 第2章では、対象校の概要について述べられている。立地、周辺地区の歴史、学校の沿革、児童数、運営システム、教育方針、校舎配置、教室配置、校庭環境、以上9項目について整理し、対象校の特徴を述べている。

 第3章では、調査結果を学年・場所・遊びの種類によって分析し、得られた結果について論じている。学年による分析からは、低学年は自然に囲われた比較的小さなスペースで遊んでいること、その自然は整備されていないほうが遊び場として好まれること、高学年になるほど平らで広いスペースで遊んでいることなどが明らかにされた。場所による分析からは、木陰などの薄暗い空間は場所への帰属感が強く、遊び場を形成しやすいのではないかという新たな視点が示された。

 第4章では、前章の分析結果をふまえ、屋外配置の計画に関する2つの提案を述べている。1つ目の提案として、屋外空間に発生する小さな空間への配慮について論じている。低学年がよく遊んでいる、校舎裏などの狭い空間が計画上配慮されていないことを問題とし、安全に対する配慮が必要だと筆者は述べている。筆者の言う「安全」とは何か。なぜ子ども達に狭い空間が好まれるのか。暗くて狭い、整備されていない、他人からの視線が少なく隠れ家的である、といった要素が子ども達の好奇心を刺激しているという可能性も考えられる。こうした可能性をふまえた上で配慮をすべきである。また、この事に関連して、場所に対する児童の嗜好をあきらかにし、前章で示された新たな視点に基づいて今後考察を進めて行くことが望まれる。2つ目の提案として、遊具の配置と校舎の関係について論じている。校舎から遊具までの距離は遠いが、遊具遊びをする児童の割合が多いという調査結果に基づき、校舎から遊具までの間に豊かな空間を配置することを提案している。また、よく遊ぶ学年が明らかな遊具は、なるべくその学年の教室の近くに遊具を設けることによって、児童同士のコミュニケーションが深まるのではないかと述べている。遊具スペースは、特に低学年にとって人気の高い遊び場であるため、配置を考慮する事により、より豊かな遊び環境が生まれる可能性は高い。今回の調査から遊具を教室付近に配置するというのは少し短絡的な気がするが、遊具を軸に屋外環境を考えるということは1つの有効な手段であるといえる。

 本研究は、小学校を児童の生活の場として位置づけ、子ども達の生活行為の1つである遊びの実態を精密に調査したものであり、今後の小学校の屋外環境計画におけるさまざまな視点を示した。以上の理由により、生活環境計画の研究分野において意義のある研究である。

(評者/山本有喜子)



■どのような研究か

 都市部における子どもたちに目をつけた凶悪な事件,自動車による屋外遊びの危険が高まっている現在,小学校の屋外空間は,比較的安全な屋外遊びの舞台として期待が持てると伊藤君は考えた.そのことから,小学校の屋外空間は遊び空間としても重要であるにもかかわらず,遊びの要素を多く含んでいたとしても実際には利用できなかったり,遊びを妨げる障害があると感じた伊藤君は,小学校の豊かな遊び空間を提案する手がかりをつかみ創造するために,休み時間の子供の遊びの様子を観察し遊び場所・内容を詳細に分析する事で小学校の屋外空間における子供の遊び場の分布と遊び内容,学年別の特性,場所特性の現状を明らかにするに至った.

■何が得られていたか

 杭瀬小学校における屋外の遊び場の分布が良くえられていたと思う.どのような場所を子供たちは好んでいるのかということや,学年による遊び場の変化(小さなスペースから大スペースへ),遊び内容の変化(自然遊びから社会的・空間的遊びへ)がグラデーションを持っていて,学年ごとに好きな場所,内容には明らかな偏りがあることが良くわかった.これらの事から「屋外空間に発生する小さな空間への配慮」「遊具の配置計画と校舎との関係」にかんしての知見を得ている.

■どのような価値や意義があるか

 この論文では,小学校の屋外空間に関する具体的な計画の提案は示されていない.しかし,屋外空間における遊びの現状をよく捉えていることから,今後の計画における手がかりがこの論文内の資料にたくさん眠っている.

■感想

 まず杭瀬小学校の現状資料についてであるが,休み時間に子供だけで遊んでは行けない場所の多い事に驚かされた.また,その場所が,子供たちにとって遊び場として魅力的であると思われる校舎周りの小空間である事は非常に残念であった.特に,観察池は子供たちの好きな「生き物」,あめんぼ,ばったなどがたくさんいたり,やつでなどの植物がたくさんあること,自然石を積んだ滝があるなど遊びの要素が集積されている事を考えると,確かにそこでの遊びは危険を伴う事もあるだろうが不思議でならなかった.その意味で第4章に述べられている「屋外空間に発生する小さな空間への配慮」に関してそのとおりだと思った.もっと具体的に動線計画への提案(例えば車動線については敷地の最も浅いところまでしか入れないようにすべき,など)や,特によく小空間を好む低学年棟の周りに自然系小空間を計画すべきである,などと言った提案をたくさんして整理すれば良かったと思うし,これだけの資料があればすごい量のことが言えただろうと思う.

また,動機の部分であるが,伊藤君のこのことを知りたいと言う思いがあまり読み取れなかった.最初はもっと素朴な疑問から入っていると思う.なぜ小学校なのか,小学校の屋外空間とは子供にとってどんな意味を持つのか,子供の頃の自分にとって学校ってどんなところだったのか,小学校の校舎外の空間って何だったのか,自分の経験や読んだ本などの内容を踏まえて,校舎外の空間はどうあるべきなのかなどを詳しく書いて,自分が本当は何を知りたいのかをぶちまけてくれるとうれしかったし,もっとよく伊藤君が考えている事,疑問に思っている事が理解できたと思う.

(評者/小畦雅史)


対象論文「建築の再生

 -日本における歴史的建築物改修の手法とその特徴についての研究-

発表者 岡野綾子

講評者 1田中千賀子

どのような研究か

 この研究は、国内における、改修による建築の再生例を分析し、改修の手法と特徴よりその根底にある意識を探り、今後の国内における建築再生の課題を考えることを目的としている。

 内容は、序章と第1?3章の4部構成でまとめられている。

 序章では、研究の背景として、「都市における建築の公共性」、「脱スクラップアンドビルドの時代へ」が記されており、研究の目的として、上に記したような目的を述べるほか、建築の再生を、「既存の建築を尊重しつつも時代の変化に見合った新たな『命』を与えること」と定義付けしており、取り扱った事例を、@公共性の高いプロジェクトであること、A築50年以上経っているものであること、Bこの10年以内に発表されたものであること、と条件を絞っている。

 第1章では、「西欧における建築の再生」として、西洋の再生例が多いことについて延べ、さらに改造に対する国ごとの意識の違いを自分なりにまとめ、事例としてフランスの1事例を紹介している。

 第2章では、「日本における建築の再生」として、この研究の本論にあたる事例の紹介と分析を行っている。ここでは、@改造7事例、Aリノベーション(改装)2事例、B構造補強1事例の3つに分類しながら事例を挙げている。それぞれにおいて、既存建築の概要、「再生」の特徴(内容、留意点など)、色分けした図面、写真などの情報が記されている。次に、事例の分析では、@構造別にみる、A構造補強、B建物の天井高さ、C転用後の用途、D文化財か否か、の5つの観点から気づいたことなどを述べている。

 第3章では、考察と今後の課題が述べられている。ここでは、研究を通して、「いまだ日本において建築再生への意識は低い」と感じたことを述べた後、「歴史的建築物に対する認識について」では、序章の背景で述べた仮設(「イタリアでは建築を都市環境の一要素として捉えているのに対し、日本では建築を文化史上の一財産として捉えている」)に関係して、京都を除く日本は、「文化財はまるで骨董品のように扱われている」として西洋との比較をしている。また、「改修においての意匠に関して」では、素材や色の明度のコントラストを指摘しており、それは日本の特徴であるかもしれないと述べている。さらに、発表レジュメでは、「改修の際、既存建築の価値を西欧の場合は外(都市など)へ、日本の場合は内(内部空間)へ向かわせる傾向があるのではないか」という新たな仮設を立て、今後国内、海外の事例をより調べ、「建築の再生」を通して建築と都市との関係性を探るような研究がしたいと述べて締めくくっている。

何が得られていたか

 論者が興味のある建築の再生事例を、実際に見に行ったり、文献で調べることによって、5つの観点から、デザインの傾向を読みとることができた。また、論者は西洋と日本との比較に非常に興味を持っているようである。その点に関して、様々な歴史背景、建築様式などから、日本と西洋は何が違うのかを考えることによって、「日本における」再生事例の特徴をより明確につかめたのではないか。それに加えて、講評会の際にも少し指摘されていたが、この研究は、改造と一口に言ってもさまざまな目的や規模や手法などがあるので、事例選出の条件や、「再生」の定義付けが難しい。自分の興味ある事例が数ある事例の中でどのように位置づけられるのかを考えることによって、その事例の改造の意味などがより分かったのではないか。

どのような価値や意義があるか

 日本における改修による建築の再生例を研究することによって、それぞれの改修事例の目的や意義、デザイン手法の傾向などが明らかになったので、建築の改修の際の示唆を示すことができたほか、これから建築物が建設される際に、持続可能な建築としての設計手法としてもおおいに参考になる。よって、この研究は生活環境計画の研究分野において価値がある。また、これからさらに研究するにあたって、様々な論点(持続可能な建築、建築と都市との関係性など)に広げられる研究である。

最後に

 この研究は、研究の目的、事例の選出方法が非常に難しいと感じました。目的をもう少し絞ると、やりやすかったのかなと思いました。(例えば、建物の用途が変わったときの改修について、とか。その場合も、増築を含めるか否かによってかなり違う)

(評者/田中千賀子)


対象論文「N.J.ハブラーケンの『サポート:マスハウジングに代わるもの』の理念とオープンビルディングの流れについて」

発表者 小笠原友里

講評者 1松本健二

■どのような研究か

 現在、環境問題に対する関心はますます高まっている。建築分野においても然りである。産業廃棄物の大部分が建設業という事実もあり、いかにして廃棄物を減少させ、建築の寿命を延長させ、如何なる再利用が可能なのかを考えることは、現在ではもう当然の問題になっている。本研究では大量生産・大量消費の時代のマスハウジングが生んだ画一的な住環境の改善に当たり、エコロジー、サスティナブル、住民参加という観点から注目を集めているSI住宅を取り上げている。しかし現在のSI住宅はその原点であるN.J.ハブラーケンの理念から好ましくない変貌を遂げているのではないかという立場から、その理念をに立ち返り、現在の日本のSI住宅について検証を行い、そこに関わるオープンビルディングについての一連の流れをまとめている。

■何が得られていたか

 本研究は、その多くを文献から得られた知見を中心にまとめられており、N.J.ハブラーケンの示した理念と現在の日本のSI住宅を比較し、様々な実験やプロセスによって明らかに劣化したのではないかと考えられるものとして以下の3つのことが上げられている。

 1.<アーバンティッシュ>という概念の欠如

 2.オープンシステムではない

 3.外観が画一的に仕上げられ居住者の個性が表れない

■どのような価値や意義があるか

 日本のSI住宅は、その原点にあったN.J.ハブラーケンの理念とはもはや異なるものになっている。しかし、これからのサスティナブルな視点からの建築を考え、また、そこで行われる居住者の生活を考える時に、本論において示されたN.J.ハブラーケンの理念は重要なものであると指摘できる。

 以上の理由により生活環境計画の研究分野において価値がある。

(評者/松本健二)


対象論文「奈良町都市景観形成地区周辺地域の景観に関する研究」

発表者 金澤守一

講評者 1佐藤由香

どのような研究か?

近年,奈良町では伝統的町屋の建替え・ミニ開発などによる旧市街地の都市化が著しい.

それを受けて,奈良市では「奈良市景観形成基準」を定め,景観保全を図っているが,都市景観形成地域周辺地域におけるその影響を現状観察により考察した研究である.

何が得られていたか?

「都市景観形成地域」,「奈良県風致地区」の周辺地域として南市町,あかい町の二つを取り上げ,それぞれの町において5軒,6軒の事例を抽出し,それについて歴史的景観にふさわしい意匠の有無,建造物の位置,色彩等を視覚的に検討している.

外壁は漆喰で腰板張り,屋根は切妻・平入・桟瓦,建具には木が用いられ格子になっていて,明らかに伝統的町並みを意識しているものや,建具部分はアルミを使用しているが景観形成基準は満たしており,景観配慮がうかがえるものも多数見うけられたが,中には外壁がレンガタイル,コンクリートの壁,屋根はフラット,建具はアルミ製で奈良町の歴史的景観に対する配慮が全くうかがえないものもあった.

どのような価値や意義があるか?

 「都市景観形成地域」,「奈良県風致地区」の周辺地域である南市町,あかい町には少なからず影響を受けたと見られる建物が見うけられた.

都市景観形成地域に囲われるように配置している南市町では,都市景観形成地域と接していないあかい町よりもその影響を受けた建物が多いと言う事が明らかになった.

 以上の事より,都市景観形成地域に含まれていなくても,その周辺では自主的に町並みに対する配慮を行っていることを観察によって明らかにする事により,住民の町並みに対する意識を読み取れた点で意義がある.

 しかし,町並みや景観に対する配慮を考察する上で,事例を点的に抽出してしまい,事例の一つ一つに対しての考察しかえられず,地区全体としての影響が分かりづらかった.

全体に対してどれだけの建物に配慮がなされているかが得られると良かったのではないか.

また,筆者による観察のみで配慮の有無を判定しているが,実際はそのような意識があったのかどうかを建て主にヒアリングし,景観に対する配慮の背景を探れたら面白かったのではないだろうか.

(評者/佐藤由香)


対象論文「中崎町における 人をつなぐ空き家再生事例の研究」

発表者 阪野直子

講評者 1中本裕美子 2駒井陽次 3正井陽子 4三谷勝章

 本研究は,筆者の都心に立地する下町の変化への興味に端を発しており,近年増加している既存の建物を改装した新しい店舗に着目し,新店舗と地域住民とのつながりがどのように形成されているのかを明らかにすることから,その存続の可能性を探ろうとしたものである.

以上の目的に基づいて,本研究は4章で構成されている.

 第2章では,中崎町の現状を把握したうえで,新店舗のオーナーを対象としたヒアリング調査から,オーナーの属性,店舗の形態,地元との交流などについてまとめている.

 第3章では,筆者が特に注目に値すると考えた,‘SALON DE AManTO 天人 の事例について,その空き家再生の方法・活用について詳しく述べている.

 第4章では,以上の調査から,中崎町の存続のための事例としての新店舗の評価,今後への提案を行っている.

 本研究は,昭和初期の町並みが残る密集市街地を,老朽化や周辺の高層化,マンションへの建替えなどが進む中で,その町並みを,長屋を改装した新店舗などに着目することから,積極的に評価しようとしたものである.新店舗は,現在は大家などによる建替えまでの暫定的処置のようであるが,今後も中崎町が都心の住宅地としてその町並みを残しながら存続していくための一事例として取り上げ,評価したことは大変有意義であったと思う.

 ただ,本研究においては,筆者のいう『人をつなぐ空き家再生事例』として「天人」の事例・取り組みは詳しく述べられているが,それ以外の事例の内容に関する記述がなく,『人をつなぐ一事例』として店舗を評価できるのかは疑問であるので,もう少し詳しい記述・調査があれば良かったのではないかと思う.また,ほとんどの調査がオーナー側に対するものであるが,新店舗の大家の多くが地元の住民である点,住民が中崎町を「時代に取り残された」などとあまり積極的に評価していない点などから考えると,地域住民にとっての新店舗の意味など,住民側からの視点が必要ではないかと思う.

(評者/中本裕美子)

■どのような研究か。

 建築というものは、その街の記憶や人々の生活を継承するものである。そのことが見失われがちであったが、スクラップ・アンド・ビルドの見直しもあり、最近では建築の再生などが注目されている。

本研究は、都心に位置し長屋など昭和初期の町並みを残す中崎町において、長屋・既存ビルを再利用した新店舗に注目し、新旧の共存や地元住民も含めた人の交流のあり方を示唆を得ようとしたものである。

■何が得られたか。

中崎町の町並みと新店舗の現状を把握

・下町の雰囲気を残しているが長屋などの老朽化が進み、早急に今後のあり方を提示すべきである。

 地元住民としては今後の住宅地の性格を残しながら時代の流れに乗った新たな変化が望んでいる。

・新店舗は、近年増えつつありほとんどが賃貸である。

 経営者の多くは町並みや古い長屋に魅せれられ、自分たちの手によって改装改築を行っている。

→中崎町の立地的・景観的などの様々な価値やそれに対する新店舗の経営者達が中崎町に求めているものが何か示すことができている。

SALON DE AManTO 天人 「世代や所属を問わず、様々な人が集える公園のような公共スペース」

人の交流について調査・考察(空き家の再生行為と再生後の空間活用を通して)

空き家の再生行為

・来訪者とのコミュニケーションによるプランニング

・民家の100%再生(「ゴミを生み出さず、ゴミを吸収する」「お金を生み出す」という新たな方法)→近所の不要品を再利用する事によって人の交流のきっかけをも生み出す。

再生後の空間活用→用途に合わせフレキシブルに対応

・人の集うサロン(定期的に行われる文化教室・芝居・ギャラリーなど)→現代を乗り切り21世紀を創造する人材が集い、交流し、文化を発信する空間

→空き家の再生行為と再生後の空間活用を通し、二段階の人の交流の有り様を示すことができている。

 建築の再生における「ゴミを生み出さず、ゴミを吸収する」「お金を生み出す」という新たな方法を示すことができている。

■どのような価値や意義があるか。

 「人をつなぐ空き家再生事例の研究」というとで、再生行為・再生後の空間活用を通して二段階の人の交流を生み出すことのできる可能性を示したこと、また再生行為において「ゴミを生み出さず、ゴミを吸収する」「お金を生み出す」という新たな方法を提示できたことは大変有意義である。

 以上により生活環境計画の研究分野において価値がある。

■感想

 本研究で取りあげているSALON DE AManTO 天人という事例は、注目すべき点が多く存在する。主なものに来訪者とのコミュニケーションによるプランニングを含む再生行為・再生後の空間活用を通じての二段階の人の交流、民家を100%再生し「ゴミを生み出さず、ゴミを吸収する」「お金を生み出す」という新たな再生の方法、現代を乗り切り21世紀を創造する人材が集い、交流し、文化を発信するフレキシブルな空間などが挙げられる。非常に興味深いものばかりであるが、本研究において全てを扱おうとするあまりそれぞれの内容が薄いように感じられる。どれか一つに重きを置いき具体的に論じることによって、より興味深いものになったのではないかと思う。

(評者/駒井陽次)

 よく調べられているが、目的に対しての結論が得られていない。

天人の事例研究から分かったことは以下の点である。

    フレキシブルな空間の使い方

    外から入りやすい空間構成の要素

    親しみやすい雰囲気を作り出す要素

これらについては、詳しく調べられていた。使い方の事例のパターンを平面・断面で詳しく紹介しているところがよかった。二階の畳を上げると、吹き抜けになる、夏・冬で上げる方向を変えるなども図面で紹介されており分かりやすかった。また外からの入りやすさに着目し、土間の親しみやすさ、中を覗くと植栽が見えること、開け放した開口部など、要素をきちんと上げているところがよい。親しみやすい要素として土間空間のもたらす効果を書いているところも興味深く読めた。  しかし、目的である“店舗が長屋などの要素をどのように活用しているのか”“店舗と地元住民のつながりがどのように形成されているのか”に対する結論を得るためには、さらに詳しい調査・観察が必要である。

・天人は‘中崎町の長屋である’ということをどのように活かしているのか。

・空き家再生をとおしてのコミュニケーションとはどういうものだったのか。 について具体的に言及して欲しかった。

 また、著者は中崎町の新店舗の現状を把握するために天人以外の店舗についても調べているが、ここでも、目的に沿ってもう少し詳しく調査すればより興味深い考察が出来たと思う。

・店舗と住民との個人的な近所付き合いとはどのようなものが行われているのか。その近所付き合いを促進させる要素はなんなのか。

・古い建物を(具体的に)どのようにうまく活かしているのか。

などに注目して観察してみると良いのではないか。

 論文の前段階として、中崎町についての説明はとても分かりやすかった。建物形状分布図で町の様子がよくわかった。また、目的に対する解答ではなかったが、使い方パターンの四つの平面・断面図が大変興味深かった。

 とてもよく調べられていると思いました。お疲れさまでした。

(評者/正井陽子)

 この中崎町における「SALON DE AManTO 天人」の事例は、その地域に残る長屋の改修としては興味深い事例といえる。

 天人の事例、長屋の改修によって店舗がつくられ、町に動きがあることは非常に興味深く面白いものだと思うのだが、この研究によって何を明らかにしようとしたのかが不明瞭であったと思う。人をつなぐ要素について研究したかったのか、天人の空間特性なのか、ただ現状をレポートしたかったのか。

 都心に位置する下町の、町並みを活かした変化に興味を持ち、次の2点に注目した。

 1:新しい店舗が、長屋など町を性格づけている要素をどのように活用しているのか。

 2:住宅地内に位置する、外部者による店舗と地域住民のつながりはどのように形成されているのか。

 そこで、中崎町の町並みと新店舗の現状を把握し、その中の、SALON DE AManTO 天人における空き家再生事例から上述の1,2について調査し、研究する。

 阪野は天人が周辺環境にどのような影響を与えたのかに興味があったのではないだろうか。1,2の注目点と天人との関係の位置付けが曖昧である為に研究の目的がぼやけたように思われる。天人について何か仮説をたててみるとよかったのではないだろうか。

 また、アンケートのYについて、「中崎町を都心の乱開発から守り、かつ時代に適応した町にしていくために、町並み・建物を利用した新しいお店の存在が一役担っていると思いますか?また、これからどうなってほしいと思いますか?」とある質問は、自分の求める結果への誘導ととれるので、適当ではないと思われる。

 天人の事例は現実に周辺の人々との関係を生み、地域のコミュニティ施設のような使われ方もしているようである。天人は現在、商売を関係なく運営されているようなので、今後天人の運営方針が決定されて成熟していくとどのように変化していくのか興味深い。今回阪野の調査した天人の事例は、これからの中崎町に影響を与えていくであろう興味深い事例であり、この事例を発見し発生過程を調べたことに研究価値があったと思われる。

(評者/三谷勝章)


対象論文「主要産業のない峡谷型臨海山村における領域構造の研究」

発表者 土谷智子

講評者 1牛戸陽治

 本研究は、島根県平田市猪目町を、「裏日本」特有の、悪天候・交通便の悪さ・過疎化といった問題を持つ地域として位置づけ、そこに積極的に定住する生活者の生活領域を、仕事領域・共同領域・認知領域の3つの視点を持って、島根県平田市猪目町に関する資料収集、現地でのフィールド調査、生活者に対するヒアリングを通して考察し、その特徴を明らかにするものである。

 まず、峡谷型臨海山村は平地が狭いゆえに仕事領域として周辺の海と山に大きな広がりを持っていたが、車道の整備により生活が以前より便利になることで、低い生産性の農林漁業は淘汰され消えてなくなりつつあることが明らかにされている。

 次に、共同空間として、猪目分校集会室、猪目集会所、かじか庵、青年会館、作業場(乾燥場)、茶工場、説教所、大歳神社、観音寺、山の神様、恵比寿神社、荒神さん、猪目海岸、猪目漁港、猪目川、猪目洞窟の16ヶ所を挙げ、個々を詳細に調査分析した結果、猪目川は各戸から近いこと、水の流れがゆるやかであること、水質がきれいであること等の要因により最も親しまれていることから、峡谷を流れる川に沿って寄り集まった集落の精神的な中心軸はやはり川であることが解明されており、同時に猪目町では、特に自然環境に起因する共同空間における日常性と娯楽的要素が大きいことも明らかにされている。

 本研究において、悪天候・交通便の悪さ・過疎化といった問題を持つ地域に積極的に定住する生活者の生活領域を、仕事領域・共同領域・認知領域の3つの視点を持って考察していることは評価できるが、個人領域・集団領域のなかで、集団領域にのみ着目していること、特に論者が共同領域と述べているものは、共同に使用している空間のことであるし、認知領域を明らかにする手だてとして、集落の古地図による生活地名の認知度のみというのは問題があると考えられる。さらには、仕事領域・共同領域・認知領域を個々に調査・分析している点が残念であり、3領域の相互関係などを模式図や概念図などを用いて解明する、具体的には、近隣集団(奥組、中組、東組)の関わり合いや、集会用施設となっている「猪目集会所」、「猪目分校集会室」、「かじか庵」の空間特性・利用状況の違いを明らかにすると、よりいっそう素晴らしい研究になるのではないかと思う。

(評者/牛戸陽治)


対象論文「他人と暮らす

神大住吉女子寮半コーナー使用者の生活パターン,持ち物とその置き方,領域の分割についての考察」

発表者 松田菜穂子

講評者 1寺嶋卓也 2吉池寿顕

   本研究は、他人と暮らすというテーマに対して、好んで他人と暮らしているのではなく、主に経済的な理由から、学生寮に入らざるを得ない学生について、その学生寮の共同部屋に着目し、そこに住む学生達が限られた空間をいかに工夫し、協力して住みこなしているのかを個々の領域をみることから探ろうとした研究である。 

   調査の対象を神戸大学住吉女子寮とし、そのうち5つの事例について観察とヒアリングを行い、共同部屋での個々の持ち物とその置き方、使用状況を把握し、個々の領域についての考察を行っている。

   まず、共同部屋のどの場所に個々の持ち物を置いているかを図面に詳細に描き込み、それぞれの持ち物に対して色分けを行っている。この図から限られた空間をいかにうまく使っているのかがわかる。次に、本棚、布団入れ、カーテンレール、机?など、場所と物の使用状況を一つ一つ調べている。

   以上のことを踏まえて、結論では、個々の領域について、個人的なものを集め飾ることにより個々の領域が形成されやすい。共用スペースについては、共用されてもいい物を置いて、共用したくない物は置かないことが必要であると述べている。

   本論文では、副題にある、生活パターンについては触れられていない。対象とした神大住吉女子寮はびっくりする程、狭い部屋、限られた空間に学生が共同して住んでいる非常におもしろい事例である。持ち物だけから考察するのではなく、個々がどのような生活を行っているのかを調べて、その生活を通して上記の考察を行うことが必要であったと思う。

(評者/寺嶋卓也)

−住まい方調査の対象と手法について−

 この研究は「神戸大学住吉女子寮寮生の同居の住まい方に関する研究」である。住まい方を研究する際には、何に着目してどの様に調査するか、つまり調査の対象と手法が重要であると考える。この講評では特に住まい方調査の対象と手法について論じる。

 松田が具体的に着目したものは、畳・板張り・カーテンレール・壁面・布団入れ・クローゼット・引き出し・玄関棚等の部屋に最初から備え付けられた建具である。それらについて、誰が、どのように使用しているか分析している。しかし、調査の対象と手法が明確に整理されていないと考える。

 ここで、住まい方調査の先駆的事例として今和次郎の研究を取り上げて、比較してみる。今和次郎の研究は、「人の行動・住居・衣服に関するものなど、およそ人々の暮らしのあらゆるものを対象とし、そうした事柄についてスケッチを含め詳細な調査を行った。彼はまったく見逃されていた人々の隠された行動や様態、ごく日常に潜む様々な事物を採集することで社会と人々を捉え直そうとした。この考現学においては、今の独自の視点こそが大切であり、しかし、だからこそというべきか様々な解釈を生み出すことによって、現在を記録し、考察する方法とし後世の人々に受け入れられてきた。(中略)今和次郎の考察の根底にあるのは、自然や都市を大きく捉える見方である。その風景に対する視線は、細部的であってしかも網羅的である。初期の労作である「日本の民家」には、青森から鹿児島までほぼ全国にわたって調査が行われている。そこでは、民家という存在をもとにした、背景となる自然、建物の佇まい、人々の暮らし振りなど調和のとれた世界を包括的に捉えようとしている。」(文献1より引用)と評価されている。例えば、「某家庭所有全品調べT.玄関(小書斎)/1925年」では、平面図・断面図に家具や建具が全て書き込まれ、土間にある靴から机の引き出しの中身まで詳細に調べられ記録されている。このスケッチを見ていると言葉の説明がなくても、どのような人が、どのように住みこなしているのかが良くわかる。詳細なスケッチにより、空間の使われ方のイメージが容易になるのである。

 このように考えると、松田さんへのアドバイスとして次ぎの二つのことが言える。@調査の際には、平面図・断面図・所有品を詳細にスケッチし、そこから仮説を立ててヒアリングを行うという手順にすること。A分析の際には、まず物・場所を所有形態について「個人の所有物」・「所有の曖昧なもの」・「共有のもの」に分類し、さらに使われ方について「共用することはあるか?」「完全に専用であるか?」を細かくヒアリングして分析すること。このようにすれば、同居の住まい方の実態がより明確に把握できたのではないかと考える。

−感想−

 それにしても、住吉女子寮の住まわれ方の実態は驚きであった。これほど狭小な空間に三人もの他人同士が居住していることがまず考えられない。このような住まいは設計されるべきではないが、現在の住まい方を調査することで、同居の住みこなし方・調和の仕方が明らかにされれば意義のある研究になると考える。

 最後に、参考文献として「河童が覗いたヨーロッパ」(妹尾河童/新潮文庫)を紹介する。妹尾河童は舞台美術家である。彼は、文化庁に芸術家派遣研修の一人として選ばれヨーロッパ一人旅に出ることになる。その旅先で、ヨーロッパのあらゆるもの(泊まり歩いたホテルの部屋、国際列車の車掌たち、各地の民家の窓と気候風土との関わり、各国のゴミノetc)に興味を持ち、それらをノートに片端から、描きとるのである。そのノートを本にしたのが「河童が覗いたヨーロッパ」である。妹尾河童のスケッチは今和次郎のものほど詳細ではないが、部屋の一点透視スケッチなどを用いて建築内部空間をわかりやすく表現している。彼の着目点・表現方法は参考になるので一読をお勧めする。

引用文献・参考文献

1).「今純三・今和次郎とエッチング作家協会」/渋谷区立松涛美術館

今和次郎(1888年?1973年)

 「日本の民家」や「モデルノロヂオ(考現学)」などを著し、「考現学」の造語を生みだしたことで著名な民俗・建築学の研究者。各地の民家や集落の様子、震災後のバラック装飾社での活動や被災バラックのスケッチ、さらに銀座や貧民窟などの都市風俗を採集した記録を多数残す。彼は研究の分野から全く見逃がされてきた人々の隠された行動や様態、ごく日常に潜むさまざまな事物を採集することで自然と社会を捉え直そうとした。(上記文献の著者紹介より引用)

2).「河童が覗いたヨーロッパ」/妹尾河童/新潮文庫

妹尾河童(1930?)

 神戸生まれ。独学で舞台美術を修め、1954年「トスカ」でデビュー。以来、演劇、オペラ、バレエ、ミュージカルなどの舞台美術を初め、テレビ美術など映像デザインの分野においても活躍中の、現代日本を代表する舞台美術家。凝り性のエッセイストとしても知られ、「河童が覗いたヨーロッパ」等の「覗いた」シリーズ他、小説「少年H」など著書多数。(上記文献の著者紹介より引用)

(評者/吉池寿顕)


対象論文「地域的イメージを構成する風景に関する認知構造の研究」

発表者 三笠友洋

講評者 1黒川祐樹 2中村永久

 本研究は,島根県大原郡加茂町を対象とし,地域らしさはその対象となる景観とその景観を認識する住民との個別の関係に基づいて評価されるという仮説を元に,その地域の住民が地域らしいと感じる景観をどのように認知しているか,そしてその地域イメージの認識の構造を明らかにするものである.研究の方法としては,その地域の地域住民が地域らしさを感じている景観の代表的なものを3つ選び出す.次に住民に対してその3つの景観について20の形容詞対をもとに評価付けをするアンケート調査を行う.そしてその調査結果からSD法を用い因子分析を行うものである.

 本研究の結果として,景観Bを選んだ人は景観A,Cに対しては景観A,Cを選んだ人とある程度同じような評価傾向であるが,景観A,Cを選んだ人は景観Bに対して景観Bを選んだ人とは違った評価傾向をしているということがあきらかになった.また景観A,Cは昔からのその地域の景観として,景観Bはランドマーク的なもののある景観として読みとることができる.これは言い換えると,ランドマーク的なもののある景観に高い評価を与えている人は,昔からのその地域の景観に対して,昔からのその地域の景観に高い評価を与えている人(A,Cを選んだ人)と同じような評価傾向にあるが,昔からのその地域の景観に高い評価を与えている人(A,Cを選んだ人)は,ランドマーク的なもののある景観に対して,ランドマーク的なもののある景観に高い評価を与えている人(Bを選んだ人)とは異なった評価傾向にあると言えるのではないだろうか.

 以上のことから,地域住民の地域らしさを感じる景観に対する認知の構造に関して初歩的な知見を得られたと考える.しかし,これらの景観がなぜ地域らしいと感じるのか,それはその景観のどこに地域らしさを感じるのかという事までは調査されておらず,またどうして景観A,Cを選んだ人と景観Bを選んだ人の評価傾向が異なるのかと言ったことまでは言及されていない.さらなる研究が待ち望まれる.

(評者/黒川祐樹)

■どのような研究か

 地域的イメージに着目し、住民がどのような空間(景観に当てはまると思われるが)をその地域らしいと感じるか、その地域らしさの認知の構造の2点を明らかにしようとした研究である。

 研究対象地域は島根県加茂町である。研究方法は、論者が加茂町らしいと感じた空間の写真を予備調査で3つに絞り、その3つの写真についてSD法によるアンケート調査を行い、それぞれの写真について加茂町らしいと感じた集団A,B,Cとし、分析、考察したものである。

■何が得られていたか

1、3つのサンプル写真は、グループA,B,Cに対応して、a:赤川の自然と対岸に見える民家と森を撮ったもの、b:加茂町文化ホール「ラメール」を赤川の堤防から撮ったもの、c:中心市街地の軒が並ぶ道を撮ったものである。それぞれが加茂町らしいと言えるが、加茂町らしさについての質問では片寄りがなく、大きく均等に3つに分かれる。

2、グループBはbを独自性が低い写真だと感じ、それに対しグループA,Cは独自的だが加茂町らしくないと感じている。

3、グループBは相対的にグループA,Cより、写真bに親近生を評価しており、それが加茂町らしさに作用している。

である。

4、また興味深い分析結果として、グループAは写真b,cを、グループBは写真a,cを、グループCは写真b,cをイメージの離れたものと認識している、という傾向があった。つまり自分の選んだ写真が相対的にどちらの写真にも、近いイメージを持つと考えているのである。

■どのような価値や意義があるか

 以上の結果により、地域的イメージを1つに絞るときに評価は分かれる。地域的イメージの判断の評価軸がグループによって似ている、つまり同じ写真をその地域らしいと感じた人々のグループでは、別の写真に対してもグループで同じ様な評価をしているということが分かる。これらは地域イメージの認知構造について知見が得られたといって良く、意義のある研究である。

(評者/中村佳永)