コラム

コロナ感染症治療薬から考えたデザインのこと

2020年4月1日(水)

先の見通しが難しい極めて深刻な事態の今、一刻も早く治療薬、迅速で精度の高い検査キット、ワクチンを届けようと世界中の叡智が結集されています。

そのような中で、 富士フイルム富山化学の開発したインフルエンザ治療薬「アビガン」が、新型コロナウイルスの臨床研究で治療効果があり、薬事承認への治験プロセスと量産が開始されたという話題は、感染者と家族の健康、そして最終的には経済回復へ希望の1つのように思います。

2月に開催されたこのプログラムのシンポジウム(東京・大阪)でお話をさせていただいた際、会場の皆さんに「今年のグッドデザイン大賞は何かご存知ですか?」と質問してみました。数名の手が挙がりましたが、他の講演でも同様にほとんど知られていません。大賞を受賞したデザインは、医療環境の整っていない開発途上国で、結核を素早く簡便に診断するために開発された富士フイルムの「結核迅速診断キット」という小さなチップです。

富士フイルムは写真の会社でしたが、今はトータルヘルスケアカンパニーを目指していますので、この受賞製品は「事業を通じた社会課題解決を積極的に目指す」という企業姿勢を端的に表していると思い紹介しました。受賞の背景には自社の強みを認識したうえで人の役に立つためのリフレーミング、「思い出を残す技術が、命を守る技術に」という「物語」に多くの「共感」が得られたからではないでしょうか。

経済産業省・特許庁は2018年5月、デザインによる企業の競争力強化に向けた課題の整理と対応策を検討してきた内容をまとめ、「『デザイン経営』宣言」と題する報告書として発表しました。そして、2020年 3月24日には、デザイン経営に取組む企業や専門家にヒアリングして、その推進の課題やその解決策の取り組みをまとめた、デザイン経営のハンドブックというものが公開されました。

ハンドブックは、主にデザインに触れたことのないビジネスパーソンに、経営にデザインが活用できるということの気付きを狙ったものだそうです。その背景として、企業を取り巻く急激な環境変化の中で、世界の有力企業が戦略の中心に据えているのがデザインである一方で、日本では経営者がデザインを有効な経営手段と認識しておらず、グローバル競争環境での弱みとなっているから、と報告書では指摘しています。

写真はグッドデザイン賞受賞者の富士フイルム大野博利氏(出典:グッドデザイン賞事務局)

今、 新たな価値創造のためには、人と社会への共感、環境へのまなざしが重要と言われています。そこで「デザイン思考」、「デザイン経営」、「イノベーションマネジメントシステム」といった手法や概念が注目されています。ユニークな価値を提供できる製品開発や事業を創造する上で、 「共感」をベースにした「物語」をともなったビジネスモデルが不可欠であるため、広い意味でのデザイン力、構想力が問われる時代となっているからだと思います。

しかしながら、一方では「デザイン思考」がブームとなってしまい、研修を受けても実際の業務で生かせないので「使えない」という、Howを取得すればイノベーションを起こせるという誤解を生んでいたりします。そもそも 「デザイン」という言葉 が、「色や形、技術や機能」を表現するスキルから、「事業モデルや企業経営のあり方」を設計する、という意味まで領域の広がりをもって解釈されるようになってきているため、その実態や役割がわかりにくいからでもあります。

「デザイン経営」では、大きくは以下の3つの知識創造と具体化をどうやって組織の中や人材育成の仕組みとして取り入れていくかということが議論されています。

1つめは、観察を通して人の心の動きを洞察することで「顧客自身も認識していなかった潜在ニーズを顕在化して新しい価値を提供していく」デザイン思考的なアプローチ

2つめは、研究開発・事業開発において、プロトタイプをクイックに何回も作り想定顧客に示すことで仮説検証し、改善と修正でこれまでにない価値を創り上げていくプロセス

3つめは、「商品・サービスや事業のコンセプト、そして企業のビジョンまでを直感的に理解できるようビジュアライズする」ことで事業や企業のブランドを及ぼす役割とされています。

企業の競争力であるイノベーション力とブランド力を高めていく方法論としての「デザイン経営」や、経産省から2019年10月に発表された「価値創造マネジメントに関する行動指針」を学びたいという社会人も多く、様々なプログラムが実践されはじめています。

そこでは、提供側も参加者と共に新しいコミュニティの中で試行錯誤しているように思います。これまでとは異なるアプローチと価値提供で社会と経済をよりよくしていこうという強烈な危機感があるからこそチャレンジし、既存の評価軸では判断できないことを生み出していくダイナミズムがあるからではないでしょうか。その根底にあるのは「共感」と「物語」だと思います。

「結核迅速診断キット」がどのような物語でグッドデザイン大賞を受賞したのか。 詳しくは受賞者であるデザイナーの大野さんのインタビューを参照していください。

(関連サイト)

グッドデザイン賞事務局「グッドデザイン賞受賞者に話を聞いてみた #1」 富士フイルム株式会社 大野博利さん:
https://note.com/gooddesignaward/n/n89df204e1eca

経済産業省 ビジネスパーソンに向けたデザイン経営の事例集:
https://www.meti.go.jp/press/2019/03/20200323002/20200323002.html

富士フイルム アビガンの国内臨床試験に関するプレスリリース:
https://www.fujifilm.com/jp/ja/news/list/3210

  • 小島 健嗣

    富士フイルム オープンイノベーションハブ館長